ラップタイム ( 第2話 )
アメリカの南西部。ジョージア州のアトランタから北にクルマで50分。深い森に囲まれたブラセルトンに入ると、アメリカ屈指のロードコースであるロードアトランタが現れる。1周4050m。11のコーナーを持つ丘陵地帯の地形を生かして作られたサーキット(※注)。
※注:ルマン24時間にも参加しているFRレーシングカーのペイノツ。そのコンストラクター、ペイノツオートモーティブのオーナー、ドン・ペイノツが88年にロードアトランタを買収。以後様々なレイアウト変更が行われ、FIAの「指導」にそった「面白くないサーキット」に変貌してしまった。下のコースレイアウトはそれ以前のアメリカで最もドライバーの頭が試されるサーキットと称されていた時のもの。それでも安全のためにシケインが設けられたので、面白みは減った。図の8コーナー(シケイン)はオリジナルレイアウトにはない。余談だが、もし今のレイアウトだったら招待されても全米選手権には参加しなかったはずだ。
アメリカのサーキットの常で自然がいっぱい。毎年10月に火曜日から日曜日まで6日間かけて行われるランオフ(SCCA全米選手権レース)が終わる頃には、秋も深まりあふれんばかりの木立が色を染めていく。
月曜日。ロサンゼルスから空路アトランタへ。ターミナル同士をつなぐ地下鉄に戸惑いながらもレンタカーを借り、一路ロードアトランタを目指す。
招待状を見せクレデンシャル(通行証)をもらいパドックに入る。まるで森の中に作られたようなパドック。空気もうまい。磨かれたレーシングカーが緑の背景に映える。
翌日からの練習を控えパドックを闊歩する。お目当ては「GT5]の識別記号のあるクルマ。28レースの中のひとつ、GT5レースをともに戦うライバルの偵察。
ミニ。ダッツン110に210。アルファロメオの1.3リッター。ほとんどのマシンがグループ5に近い改造を施されている。2輪がパンクした時にボディのどこかが接地しなければOKという極端に低い車高。ペダルを移動し、ステアリングシャフトを延長し大きく後に移動させたドライバーシート。外皮だけにして軽量化を図ったボンネットとドアとトランク。ドアはズスファスナーで止められていてア・カ・ナ・イ。
「なんだこりゃ!」
持ち込んだ車両は日本の特殊ツールングカー規定そのままのスターレット。ランオフ唯一のトヨタブランド。
1m四方で高さ10センチの箱をクリアしなければならない車高は高く、ドアにはロックさえ備える。ロードアトランタのパドックでは、他がレーシングマシンならスターレットはふつうのクルマに見える。自費参加がありGT5レースには都合30台が参加。
「なんか違うなぁ。南太平洋2位だから8地区あって成績が悪くても16位と計算してたのに。これじゃ気後れしちゃうよなぁ。」ひょっとしたらいいところにいけるかも、と抱いていた希望は無残にも砕け散る。
GT5を1台ずつ見て回る。整備に余念のないドライバーが声をかけて来る。
「見物かい?」「イエ、アノウ、ソレガ・・・」
スターレットの止めてあるところに戻り、明日の30分間のプラクティスに備え油脂類のチェック。エンジンを一度かけて止める。必要のないことはしない。これがレースで好成績を収めるための鉄則だと自分に言い聞かせる。
夕暮れが近づく。ほとんどのパドックスペースが草の上のロードアトランタ。マシンの横にはテントが張られ、携帯用のバーベキューグリルから煙がのぼる。クーラーボックスからビールを取り出した男達の会話が始まる。あちこちで笑い声が聞える。
「いいなぁ。こんなレースって。日本にはないよなぁ。」
「ヨシ!いつもの通りできるだけのことをしよう。日本人で初めてSCCAランオフに招待されたのだからと言って、意識するのはやめよう。いつも通りにすればいい。」
当時、アメリカのレースはほとんど日本に紹介されなかった。SCCAで言えば、過去に故風戸選手が挑戦したCAN−AMがあるぐらい。少なくともSCCAのクラブマンレースは日本人の誰もが知らなかった。雑誌が頁をくれなかったのが決定的な要因だったが、ジャーナリストとしてもクラブマンレースの紹介記事は送るつもりはなかった。「勝たなきゃウソ」のレースが蔓延している日本に、「楽しむレース」が入り込む余地はなかった。自分だけのレースにとどめておきたい気持ちもあった。唯一、ボクの生き方にエールを送ってくれた編集長のいた当時のメンズクラブにだけは「アメリカの楽しさ」を伝えた。それだけだ。
クルマにカバーをかけ、にわかキャンプ場と化したロードアトランタのパドックを後にする。車検場に置いてあるコースレイアウトをもらう。駐車場に止められた無数のモーターホーム群からもハンバーガーパティを焼く匂いが漂い、その周りを子供達が駆け回る。
そう。アメリカでは父親のやることをしっかりと子供に見せる。学校を休ませてでも見せる。それがふつう。
「いいなぁ。」
数時間前にパイプとピロボールに置き換えられたサスペンションアームを見て声も出なかったことなど忘れ、ただただアメリカに来て念願のレースに出場し、その上全米選手権にまで招待されたことが嬉しかった。実現するために払った犠牲は大きかった。夢を実現しようと思わなければもっと楽に生きられたはずだ。奥さんにもつぐなえないほどの無理を強いた。
ロードアトランタ。奥さんの姿はない。飛行機代が払えない。レースを始めてから、初めての「ひとりだけのレース」。
手にしたコースレイアウトに書かれたコーナーをひとつずつ目で追い、たたんでレンタカーのバイザーにはさむ。
「これだけアップダウンがあるんだから走ってみなきゃわからない。全ては明日のプラクティスの最初の2周だ。それで読めるかどうか。」
クルマの性能がすぐれているとは言えない。練習量も圧倒的に少ない。が、どうしたらクルマに負担をかけずにスムースに速く走れるかを考えた時間の長さでは誰にも負けない。そんな気持ちがあった。
それを実証することがレースに出る目的だと言っても過言ではなかった。
第3話に続く
≪資料≫
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