ラップタイム ( 第11話 )
サムアップしてくれるコーナーワーカーに頭を下げながら1コーナーを抜ける。コーナーワーカーが帽子をとって胸にあて、おじぎをしてくれる。
カリフォルニアでもずいぶんと「おじぎ」を普及させたものだ。
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「頑張れヨッ!」と言ってくれているコーナーワーカーに手を上げて応える人もいる。走るのに一生懸命なのか何もしない人もいる。ボクは。ボクはここがアメリカだとわかっていても、手を上げるだけで応えてしまうことができない。レースはコーナーワーカーがいなければ成り立たない。レースが始まってしまえば、自分の命を預ける人達なのだ。
自分で旗を振っていた頃、当時の全日本F2に参加していたドライバーの中にも手を上げて応えてくれる人とそうでない人がいた。もちろん手を上げた上げないはドライバーの勝手。こちらもそれを期待しているわけではない。ただ、ドライバーが真剣に走るのと同様に自分も一生懸命旗を振る。その決意を込めて手で合図を送ったものだ。
走り始めてしまえば、コミュニケーションの手段は旗しかない。人と人のコミュニケーションをはかれるのはスタート前のウォームアップラップしかない。 だから。「自分は用意できていますヨ。」とつぶやきながら手を上げたものだ。
ウインドシールドの向こうにコーナーワーカーがサムアップしているのが見えた時、日本人として日本人なのだという意識で深く頭を下げる。いつしか、ボクに対してはいつもおじぎをしてくれるようになった。決して握手とサムアップと○指を立てるだけの国ではなかった。
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練習、1回目の予選と走ってきて、ロードアトランタのSCCAコーナーワーカーの何人かはおじぎをしてくれるようになった。多分、全ての走行が終わってからワーカー達が集まってビールを飲みながら成果を話し合う席で、「アイツオカシイヨ!」って酒の肴にしているのにちがいない。
後からコースインしたはずのクルマが狂ったように抜いていく。何かに取り付かれたように走り去って行く。どうもアメリカ人はここぞという時にテンションが上がりすぎてしまうようだ。だからとてつもない力がでるのだろうが、農耕民族にはなかなかできないことだ。そんなことを思いながら、「自分はどうなんだ?日本人と比較して。」と自問している自分に気がつき苦笑する。
リアビューミラーに赤いクルマがちらっと見える。来た。案の上キチンとウォームアップしている。6コーナーに入る頃後ろに付かれバックストレートで右側から抜いていく。
「ヨシ!」
3速にアップシフト。回転が上がりきるまでに片手でハーネスを締め直す。4速。いつもはブリッジ下で入れるデフオイル循環用の電磁ポンプのスイッチを入れるためにロールバーに取り付けたスイッチボックスに手を伸ばす。走る前に後輪をジャッキアップしてデフを暖めておかなかったことがチラと気にかかる。
思った通り。きれいなRを描いて坂を下ったミニはスムーズなラインでブリッジ下の空間に吸い込まれて行く。
「イイナ!」
12コーナーも突っ込みすぎるでもなく、速度を落としすぎるでもなく、安定した極めて理屈に合った走りを見せる。
「イイゾ!チャンスだ。」
1コーナー。やはりわずかだが他のカットンデ行くクルマよりブレーキングが長い。どうやら波長が合いそうだ。なにしろ、トリッキーな2コーナー、3コーナーを抜ける時にも対角線上の荷重移動がない!まるで自分が目指すお手本を見せてもらっているようだ。
5コーナー。それまでに前を走ったドライバーは自分がブレーキに右足を移す時にもまだスロットルを踏んでいたが、赤いミニは違った。低い車高と独特のサスペンションのせいで姿勢が安定している。クリッピングポイントのかなり手前でブレーキランプが消える。
「スロットルに右足を戻したな!」それでもアンダーステアは顔を見せずに登りのヘアピンを駆け上がる。ことらも2速8、500、3速8、500まで回してク・ラ・イ・ツ・ク。
6コーナー。今まではタイヤに負担をかけたくないので極力スライドを抑えてきたが、今度ばかりはミニと同じペースで進入する。 7コーナー。今まではタイヤを減らしたくないのでグリップの限界を感じつつスロットルを開けてきたが、今回は早めに踏み込む。後輪にトラクションがかかりスリップアングルが増える。さらに踏み込むと同時に意識的にステアリングを戻す。アウト側後輪が平行移動する。左手でステアリングをさらに引く。少しばかり高すぎる縁石にわすかに当たるショックを感じる。
「イインジャナイ!でもいつもはやれないよな。」
3速。4速。5速。バックストレートを走りながら1周目に挨拶できなかったコーナーワーカーに心の中で頭を下げる。
いつもより8、800回転がレッドゾーンの3K型エンジンのエキゾーストノートが遠くから追いかけてくる。確かに速い。10コーナー手前でスロットルを戻すはめになるかと思えるほどだ。
ブリッジをくぐり最終コーナーを抜ける。
「ヨシ。このペースであと1周。」
ミニがペースを上げたようだ。それでもついていけないペースではない。こちらにはまだ『クルマを酷使していない』という貯金がある。できれば使いたくはないが。
なぜかいつもより目が見えるようだ。小学校1年からかけ始めたメガネと極度の近視と乱視。レーシングドライバーにはなれないのだろうかと不安だった日々がなつかしい。今、あの時の少年が全米選手権を走っている。
カリフォルニアで何度も経験してきたことだが、とにかく楽しい。走っていて楽しい。人と競争することがこれほど昂揚感をもたらすとは。レースを始める前には想像できなかったことだ。
前の晩。最後のビールの缶をつぶしながら感じた不安。過度の期待。それも今はない。カケッコじゃ置いてきぼりにされるが、クルマの運転ではついていける。だから前を行く相手を抜けるまでに速くなりたい。一切のリスク無しに。
1周目にクルマのせいか少し間隔のあいた6コーナーを少しばかり速く進入。カントがついているからリスクが増えるわけではないが、低速コーナーでタイヤのスライドを察知すると心が痛い。
「なにしろ、奥さんの洋服代がタイヤに化けたんだもんなぁ。」
1周目は後手に回ったカウンターステアを意識して、極力スロットルの踏み込みとステアリングの戻しがシンクロするように操作する。
「気持ちイイ!!! 楽しい!!!いつもこんな風に走れたらなぁ。」
スライドした距離は10mにも満たないだろう。1、300ccじゃスライドさせすぎると失速してしまう。鈴鹿のヘアピンを数10mもカウンターステアを切りつづけながら立ち上がった高橋国光選手のカッコヨサにははるかに及ばないこともわかっている。それでも楽しい!今。自分が主役。
12コーナーを抜けコントロールラインまでできるだけ4速で引っぱる。踏んだ。すかさず5速に入れ、リアビューミラーで後続車が遠いことを確認しながらスロットルを抜きラインを右に取る。
「ハイッ。自分の予選は終わりで〜す。」
遠くに目をやれば、赤いミニが多分それまでより速いスピードで1コーナーに消えていくのが見える。
第12話に続く
※ 解説用コースレイアウトにあるシケイン(8コーナー)はスポーツカーレースの大きな事故をきっかけに作られたもので、全米選手権の時にはなかった。
≪資料≫
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