ラップタイム ( 第12話 )
ロードアトランタに来てからいったい何杯のコーヒーを飲んだことだろう。出費を抑えるため朝メシと昼メシを作る携帯コンロと材料は持ってきた。コーヒーメーカーも持ってくれば良かった。スターレットを運んでくれたトヨタのビッグリグにはいつも発電機が回っているんだから。
もっとも、アメリカの田舎にある納屋のようなカフェテリアで売っているシャビシャビのコーヒーの味も捨て難いものだが。
コーヒーをこぼさないように歩いていると後からクルマ。そろっと道を空けるとそのクルマが横に止まる。赤いミニ。早くコーヒーを飲みながら煙草に火をつけたくてスターレットをパドックスペースに止め、レーシングスーツ姿のまま買いに行ったものだから、白と赤の粋なレーシングスーツ姿で「スターレットの運転手」だとわかったに違いない。
何歳ぐらいだろうか。あとでエントリーリストで確かめてみよう。自分よりは年上か。
「ハイ!」
相手も後ろにスターレットがいたのを意識していたナ。
「ユーブフィニッシュトソーアーリー。ワァイ?」
「セイブタイアズ。」
少しばかりラフな感じのドライバーが「グッドラック」といいながらミニを進める。いろいろなレースのやり方があるのさ、とつまらない言い訳をした自分に腹を立てながらスターレットのところに戻る。
煙草に火を付け、スターレットの周りを歩きながら大きく吸い込む。
「あとはレースだけ。いよいよだ。手をつけていない余力が吉と出るかどうか。」スターレットに無性に愛着を感じる。
ジャッキアップし馬をかいカバーをかけ、忘れ物がないことを確認して車検場に向かう。もうレースまでは戻って来ないつもりだ。
片付けてから来たからだろう。既にGT5クラスの最終予選結果が発表されている。コピーを1枚手に取る。一桁には入ってないよナ、と目を落とす。「みんな勝ちたいんだもんナ。ひとりだけ突然速くなることなんかないよナ。」
果たして。結果は13位。
とりあえず2位x8地区の最低線は守れた。が、2位同士の中のトップではない。あとは前にいるドライバーがどんな状態で出したタイムか、だ。
ミニは?あった予選9位だ。1回目の14位から5つポジションを上げている。「やはり1回目は温存していた部分があったナ。ひょっとするとヤッコさんもタイヤをセーブすることを考えていたのかも知れない。ならばこっちの気持ちもわかってくれたかナ。」
「そうか。13位ということはイン側か。少しは助かるナ。」
いつしかローリングスタートの隊列の真っ只中にいるスターレットを思っている。7列目。イン側。「どうする?」頭は動いているんだろうが、アイディアとしてまとまらない。そりゃそうだ。相手があってのレースだ。何が起きるかわからない。いくら思い巡らせてもその通りになる保証はないはすだ。やめよう。第一、性分にあわない。その時にキチンと対応できるように努力してきたのではなかったか。自分を信じることだ。今までも何とかやってきたではないか。疑問のあることはやらなかったから、確証が持てないことは避けてきたからなんとか無事にやってきたではないか。自分の判断が、そのまま自分の速さなのだ。自分を信じなければかわいそうじゃないか。
どうなるのかナ、と言いう気持ちが高まるとそれを打ち消すように気分も高まる。それでは駄目だ。どうにかなるサ、も駄目だ。それじゃ危ないし、第一勝っこない。感情を持ち込まないことだ。余計な意識を高めないことだ。今までもそうしてきたじゃないか!
レースをすると、自分の気持ちを知ることができる。だんだんに自分の気持ちとどう付き合ったら良いかがわかってくる。おそらく、多分、気持ちの高ぶりと平静の間を行き来する自分を楽しんでいるのも事実だろう。そんな決まっていないシナリオを自分が演じるのだから、みんなが必死になって走っている間に入って自分でシナリオを書き続けるんだから、それさえも気持ちが良いに違いないではないか。
いつもはプリグリッドに並んでからの長い時間に考えることを、何本目かの煙草を吸いながら考えている。クルマと離れたところで考えている。「そうか。少しは事情が違うんだナ。」
レース前はいつもそうだ。予選が終わってクルマの準備が出来てしまえば、ほんとにやることがない。まして明日は他のクラスのレースが行われるから走らない。カリフォルニアのレースでも土曜日の予選が終わってしまうといつも手持ち無沙汰だ。
開き直るしかない。いずれその時は来る。何も考えないことだ。
* * * * * * * *
目の前をショールームストックBクラスのクルマがローリングをしている。タイヤを暖めるためにクルマを派手に揺すっている。少し頭がズキズキする。寝付こうと思って飲みすぎたか。
揺するとタイヤが暖まるかどうか検証したのかネ。考えるのは億劫だが、自然にそんなことを思い巡らす。
自分が走るようになってからあまり人のレースを見たくなくなった。特に自分が乗っているのと同じカテゴリーのレースには興味がなくなった。なぜなんだろう。
4コーナーのイン側。木立の中のコースが見渡せる所にレンタカーを止め、全ての窓を全開にしてスタートを待つ。
排気音が高まった。グリーンだ。ローリングは「2周」だったナ。
ロールケージとセーフティネットとフルハーネス以外の改造が一切許されないショールームストックでも、40台がいっせいに同じ所から加速をするとけっこう大きな音になるもんだ。
小高い丘の影からトップグループが現れる。先頭は何列かサイドバイサイドだ。こけそうにロールしている。それでいてどのクルマもみんな流れている。ドアツードアの2台もいる。
「これも面白そうだナ。耳で聞くより速く見えるレースはこれだけだろうナ。機会があったらやってみたいもんだ。」
目の前を、既に4速に入っているであろう集団が駆け抜ける。「このレースは面白い!あんなに流れるんだったら楽しいに違いない。」
今まで心のどこかであえて無視しようと努力していたショールームストックレースは続いている。
舵角とはまるっきり異なる軌跡を描きながらクルマが走る。
第13話に続く
※ 解説用コースレイアウトにあるシケイン(8コーナー)はスポーツカーレースの大きな事故をきっかけに作られたもので、全米選手権の時にはなかった。
≪資料≫
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