ウイロースプリングスレースウエイ ( 第9話 )
SCCAのクラブマンレース。カリフォルニアスポーツカークラブが主催するそれは、30分の練習と30分の予選、そして決勝レースが行われる。
練習では「未経験」のこともトライするが、それもわずか。なにしろ全ての消耗を最低限に抑えなければばらない零細チーム。できる範囲で「それなりに」走ることが楽しむ秘訣。足りない点は「走っていない時に頭を使って埋め合わせる」。それがチームの方針。
予選は5周しか走らない。夏の暑い時には走行を2回に分けて合計7周ほど走ることもあるが、基本的には計測3周目にベストを出すリズムを作る。
次々と練習が進み予選の時間になる。前の前のグループの予選が始まる。前のグループのクルマがプリグリッドに並びだす。我がKP61をその最後尾につける。自分のグループの先頭に並べるためだ。
自分の予選開始まで1時間。一度トレーラーに戻り一服。適当に水分を補給。前のグループが動き出す前にレーシングスーツに着替え、クルマに乗り込む。
自分の流儀で数レース消化した頃だった。クルーチーフ兼奥さんが言う。「5周しかしないんだから、それまでトレーラーにいれば!」
そうなんだ。日較差の激しい砂漠では夏のレースともなれば、外気温が40度を超えることも珍しくない。一番暑かったレースは華氏で110度、摂氏で43度あった。そんな中、クルマに座っているのはおかしいと思われても不思議ではない。事実、ほとんどのドライバーが自分達で立てた仮設テントの下から直接予選に出走する。
バラクラバ(ヘルメットの下につける防火マスク:着用義務付け)とヘルメットをつけていなくても汗が滴り落ちる。Tシャツの上にノーメックスのアンダーウエア、その上にトリプルレイヤーのレーシングスーツを着れば熱くないわけが無い。それでも、夏であろうと秋であろうとプリグリッドの先頭にクルマを置き、前のグループの走行が始まるとクルマに乗り込み6点式シートベルトを締め上げる。
決してナーバスになっているから早く乗り込むのではない。その気になればプリグリッドにクルマを置いてから日陰に駆け込むこともできる。真っ先にコースインできる位置にクルマを並べ、30分も前からクルマに乗り込むのは、自分で決めた自分のための儀式だ。それなりに走るための準備でもある。
軽自動車免許があった時代。物理的には16歳からレースに出場することが可能だった。実際、軽自動車を大幅に改造したレースが頻繁に行われていた。しかし、いろいろ手をつくしても自分がレースに参加することは不可能だった。
中学生の時に描いた夢を実現できた時、実に20年近く経っていた。それも日本ではなくアメリカでの話。
バケットシートに身を沈め陽炎の立つピットロードに目をやる。いろいろなことが頭の中を過ぎる。それはいつも変わらない。「あのコーナーはどうやって攻めるか?」に始まり、「今日のライバルは誰かな?」と続き、自分でも意識していないことを考え、いつしか「今日も大好きなレースができる!」と収束する。頭の中は、ほぼ空白。なぜか目頭が熱くなることさえある。
そんな頃、メーターパネルを触ったら火傷しそうな室内にいるはずなのに暑さが遠のく。心なしか汗が止まったようにも思える。
「そう。自分は決して速いドライバーではない。速く走りたいとは思うが、速く走れるかどうかは別の問題。しかし、クルマは遅くはない。結果を出すためには『自分がキチンと乗る』ことだ。」
いつもそんな結論を出しながら前のグループがチェッカーフラッグを受けるのを眺めていた。
ピットワーカーの笛が鳴る。「いよいよだ。」
カットオフスイッチ(キルスイッチ)をオンにする。続いてルーフコンソールに付けられた燃料ポンプ。2基の電磁ポンプがカタカタカタと音を立てる。じょじょに現実が戻る。イグニッションオン。ゆっくりとスターターを押す。パートスロットルにした2基のウエーバー45DCOEの吸気音が聞こえたかと思うや、ドライバー席の横に出したストレートパイプから轟音が沸きあがる。
不思議なほど自分の気持ちが平和なのを覚える。これからやろうとしていることも何をするべきかもわかってはいるが、それが頭の中を支配していることは無い。
ピットワーカーが手招きする。ゆっくりとクラッチを切り、さらにゆっくりとシフトを1速に入れる。できるだけ低い回転で、エンストしそうなほど低い回転でクルマを動かす。
ピットワーカーがサムアップ。ちゃんとその人の目を見て手を上げる。
ピットロード。目の前に赤茶っけた山肌が広がる。コースインの周はショートシフト。よく調整されたエンジンは3000も回せば機嫌を損ねることも無い。
1コーナー。コーナーワーカー全員がコース際まで出てきてサムアップ。しっかり見えるように手を振る。「今日もお世話になります。」
レースに出たくても出れない日々。都合8年間。鈴鹿サーキットのコースオフィシャルとしてコースインするクルマに手を振り、チェッカーフラッグを受けたクルマを拍手で迎えたことをいつも思い出す。
駆動系によけいな負担をかけないようにステアリングとスロットルの操作は最小限。タイヤを暖めるためのウエイビングはしない。暖めるのならばゆっくりとした加減速でも可能だ。
2コーナー。気をつけるのはコースの状態。意識的に頭を後ろに引き、少しでも広い視野で情報をあつめる。
露出した岩がゴロゴロしている南カリフォルニア特有の山肌をぬい、ゆっくり走ればなんてことのない6コーナーを抜ける。そろそろ駆動系のオイルも温まった頃。デフ潤滑用のオイルポンプのスイッチを入れる。目の前には8コーナーに続く長い走路。
もう一度自分が腹式呼吸をしているか確かめる。一度だけ、鼻から強く息を吐く。
それが合図。右足に力をこめる。室内が静かになったかのような錯覚。速さが音を置いてきぼりにし始める。
第10話に続く
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