ウイロースプリングスレースウエイ ( 第10話 )
とにかく。とにかく自分が持っている経験と知識を100%生かすことができれば速く走れる。
自分自身で決めた極端に短い予選。計測1周目より2周目、2周目より3周目に速いタイムが出るように走ることが大切だ。
予選は「絶対スピード」が結果に出る。だからどこかで速いタイムを出せばいい。しかし、個人差はあるだろうが、いきなりレーシングスピードで走ってリズムに乗れるとは思わない。まして、WIRは5速全開のコーナリングがある高速コース。
人間にもクルマにもウォーミングアップが必要だ。1周目に好タイムを出しても、再現性がなければ意味がない。そんな走りはマスターベーションにすぎない。
ストレート。フラッグタワーでグリーンフラッグが振られる。計測開始。もう一度大きな腹式呼吸。そしてトンネルビジョンになっていないか確かめる。
1コーナー。意識して頭の中のイメージより手前でスロットルを抜く。あえていつもより手前から少ない踏力でブレーキング。ターンインも早め。が、自分でどれだけ調整できたかは確認できない。そう、全ては意識。
アウトにはらんで回転計を見る。
2コーナー。ステアリングが重くなってきたからスリックがグリップし始めた証拠。だが、まだ完全に温まっている保証は無い。少しアウトから、クリーンな路面の外側を左タイヤが走るラインを選ぶ。
3コーナー。意識を強くしてずっと手前からブレーキング。その代わり、踏力は少なめ。レリースポイントも早め。いつもより高い速度で進入できることを願う。
「ステアリングを修正しないで済むように」。それだけを念頭に丘を駆け上がる。
丘の上。いつもよりパーシャルの区間を長くしターンインの時に余裕を持てるように仕掛ける。
4コーナー。クリッピングポイントを奥にとれと自分に命ずる。アウトにはらむ危険を冒す必要はない。
5コーナー。とにかく突っ込みすぎて失速することは避けたい。だから、「いつもやれたこと」を今はあえてしない。キモはここの脱出速度だけ。
6コーナー。丁寧にステアリングを引く。身体が軽くなる瞬間にエンジン音が高まる。いつもより軽くなった気分。多分、速い。
8コーナーまで延々と続くコースを見やる。ここが2番目の関門。インによりたがる自分を制し、できるだけ奥にクリッピングポイントを定める。クルマが流れ始める。いつGを消すか?自分に聞く。
握力を加減するぐらいのステアリングワークでクルマをアウトに持っていく。Gが消える。隣に大事な人を乗せているつもりでそっとブレーキング。4速にダウンシフト。
いい。クルマが安定している。さあ、最大の難関。9コーナー。早めにインについたら負けだ。目線は遠い先と少し先の路面を忙しく行き来する。
ここだ。まだストレートは見えないが、スロットルを空けても不安はない。目線が座る。ゆっくりと踏み込む。
ストレートに出る。この週末、初めて8200回転まで引っぱって4速にアップシフト。
深い腹式呼吸。大きく鼻から息を吐く。水温計、油温計、油圧計、電流計の針の位置を確認。しっかりとリアビューミラーで後方を確認。
ウインドネット越しにピットが過ぎる。クルーチーフは下を向いてたけど大丈夫かな?
1コーナーに向けて路面が上り始める頃、インカムからクルーチーフの声。
「36秒4!」
ちょっと速いな。そんなタイムは必要ない。できるだけ同じ操作を再現できるようにもう1周。
「36秒3!」 もっとやさしく言ってくれたらなぁと思いながら、ステアリングホイールについた送信ボタンを押す。
「ピットに戻るヨ」。
もし18周のレースをずっと36秒4で走り続けることができれば、多分、簡単にレースに勝てる。過去のレースタイムを周回数で割っても97秒台前半か、速くても96秒の後半もいいとこ。これ以上クルマを消耗させる意味はない。
ピットインすると決めたものの、9コーナーまではほとんど変わらないペースで走る。タイヤ温度を下げると、路面に落ちているラバーを拾う。ピットに向かい、ピットウォールがはじまるところで初めて速度を落とす。
もう余計なことはしなくいていい。歩くような速度でクルマを進め、パドックへのゲート手前で止める。タイヤが冷えるのを待つ。
ウインドネットを下ろしながらピットに目をやるが、そこにはもう、クルーチーフの姿はない。
最終話に続く
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