ウイロースプリングスレースウエイ ( 最終話 )
当面のライバルはダッツン210サニーとアルファロメオGTV。
ダッツンは名機と言われたA12エンジンを米国日産のセミワークスであるエレクトラモーティブ(後にデイトナ24時間レースで優勝したGTPを開発した会社)がチューン。聞くところによると、流用できるチタン製の部品が使われているとか。
アルファはなんと言ってもそのエンジン。A12やスターレットの3Kエンジンがプッシュロッド(OHV)なのに比べ、押しも押されぬツインカム。
確かにハード的には劣るところはあるけれど、だからと言って「レースの結果」が全てそれで決まるわけではない。排気量はともに1300cc。優劣はあるだろうが,スポーツカーと軽自動車というわけではない。
多い年には年間22レースに出場するが、予選1位を取ったことは稀。
32歳の後半にあこがれのレースにデビューした時、既に自分の中に明確な指標が生まれていた。それは、速く走ることも大切だが、それよりも大事なのが「人と競り合って勝つ」という意識。言葉を換えれば、速くなくてもいいから強いドライバーになりたい、それだけだった。
いつも予選のタイムと結果には頓着しなかった。トップグループを走れることさえ確認できれば、走るのを止めた。出費を抑えなければならない台所事情もあったが、予選を早々に切り上げる最大の理由は「自分にテーマを課す」こと。自分自身に「自分にできることの中で工夫して相手に勝つ」意識を明確に創りあげることにあった。
我がクルーチーフは若干異なる見方をしていた。家計を預かる身なのにと思ってしまうのだが、「どうせレースやるんだったらブッチギリで勝てば!」と言う。「ホントにけちなんだから!」とのたまう。
でもそれはペケだ。
クルマの運転は難しい。運転するだけでも難しい。
無制限に体制を強化したら、速く走れても「何が理由で速く走れたのか」がわからなくなる。唯一の操縦者である自分の進歩のせいなのか、「速く走れるクルマをたまたまうまく操ったのか」わからなくなる。レースがやりたいけどやれなかった自分にとって、最大の喜びは「自分自身が速くなる」こと。そして「強くなる」ことだ。それしかない。
頑固なまでに自分のペースでレース活動を続けるのを見て、自分自身ダートトライアルに出ていたクルーチーフ兼我が伴侶はいつもあきれていた。
ストームが来た時以外は雨らしい雨が降らない南カリフォルニア。あるレースの時、にわかに大雨。
たちまちSCCAのレースに来るグッドイヤーとファイアストーンのサービスには黒山の人だかり。在庫の少ないレインタイヤの争奪戦が始まる。
ライバルはと言えば、潤沢な活動資金にものを言わせ、早くもレインタイヤを装着。
焦る。頭がフル回転。「どうすればいいんだ!」
こういう時は座って一服するに限る。でも、「どうすんの?」と横から。確かにコース上には水溜りが出来ている。排水設備の整っていないLAのフリーウエイのようだ。
が、WIRは勾配のあるコース。上り下りがあれば、コーナーにはカントがある。ストレートを除けば「池」ができる確率は低い。第一、アメリカ製レインタイヤの溝は深くて広い。日本でレースを取材していた時にも、「あんな大げさなレインタイヤ」を見ることは稀だった。ストレートさえまっすぐに全開で走ることができれば、希望が持てる。
ヨシ。
ある日ダートトラックのレースの取材に行った時、その日サービスに来ていたファイアストーンのエンジニアがいたことを思い出した。彼は刻々と変わるダートトラックに合わせてユーザーのタイヤのグルーブを増やしていた。
ソウダ。「リトルジョー」ならグルービングアイアン(電熱製溝彫り器)を持っているはっずだ。
ごったがえすトレーラーの中でジョーに頼む。怪訝な顔をしながらも「ボクにとっての生命線」を貸してくれる。帰りしなにタイヤチェンジャーの上にあるタイヤ用のチョークを失敬!
トレーラーに帰るやKP61を馬に上げ、8本しかないスリックタイヤの中から磨り減っている順に4本をチョイス。溝は深く彫りたいが、元々発熱して溶けるコンパウンドのスリック。雨で濡れた路面で大幅に溶けるとは思えない。あくまでも想像だが。ならば、減っていないタイヤは次のレースに回そう。
で、どうやって溝を切るとベストか。日本にいた頃見たBSの最新レーシングタイヤのパターンを頭の中の引出しから引っ張り出す。たしか、縦にグルーブが3本。軸方向には斜めにグリービングが入っていた。
フリーハンドでチョークの線を引く。タイヤを1周すると軸方向のグルーブの間隔がマチマチだ。でも時間がない。グルービングアイアンの刃先を調整し4分の1インチにする。ちょっと薄いか?
とにかく出走までにわずかな余裕を残した時点で4本のグルービングが完了。ファイアストーンに持ち込む。
「ジョー、ジョー! ドゥーミー ア フェイバー?」
急いでバランスをとってもらう。ジョーはタイヤを受け取りながら首を横に振る。「こんなんで走るのか?」とでも言いたげ。
「わかっているよ、ジョー。自信はない。最後までもつかわからない。でも今は、今はこれが最善の選択だと自分では言い切れる。失敗してもその責任は自分で負えばいい。」言葉にできないままトレーラーに戻る。
馬に上げてあったKP61の下に濡れるのもいとわず潜り込む。数センチは、自分の身体が水没する。
時間がない。ヘキサゴンレンチを握り締め、とにかくスタビライザーとコントロールアームを切り離す。雨の日はロールさせた方がグリップを稼げる。何かで読んだか、誰かから聞いたか、それが正しいのかもわからない。でも、そうすべきだと自分の知識が言う。
スタビが垂れ下がる。「これじゃつっかかるナ。」タイラップで応急処置をし、タイヤを取りに走る。
腕がだるい。こんなんで走れるのか? 自分自身を冷静に眺めれば、「泣きたいような気持ちの自分」がそこにいたはずだ。
この時ばかりは、グループ最後にコースイン。
プリグリッドのオフィシャルがタイヤを見て、大げさに両手を広げる。 「イインダ! ワカッテルンダ!」
出迎えてくれるコースワーカーに手を振るのももどかしく、加減速を繰り返し、この日ばかりはウエイビングも。
ステアリングが軽い感じだ。はたしてうまくいくのか?
2速に落とす3コーナーで、あえてスロットルを開け気味にターンイン。一瞬直進。「やっぱりなぁ。どうすりゃいいんだろ?」確信はない。
4コーナー。スロットルを開ければお尻がズルッ。「ウェットなせいもあるけど、基本的にはタイヤが温まっていない! 発熱する余地はあるはずだ。」
3速で進むローリングの間中ウェイビングと加減速を繰り返す。
ストレートが見えてきた。が、前方のクルマが加速したとは思えない。フラッグスタンドはかすんでいるけど旗も振られてはいないようだ。そのまま進む。
フラッグスタンドのスターターが1本指を出している。珍しい雨に注意を払ったのだろう。ローリングが2周になった。高速で動いているワイパーが雫を弾き飛ばす。
んっ! こころなしか雨脚が弱くなってきたか!
「今日だけだから勘弁」とつぶやきながら、しばらくの間速度を落とし前のクルマとの間隔を空ける。前のクルマが1コーナーのアプローチにさしかかる頃を見計らってフル加速。速度は少し低いがいつものように3速でターンイン。ロールを感じる。自分でできる範囲では最高にスムースに切ったステアリングが、グリップを生んだ。
多分、大丈夫だ。結果はわからないが、いけそうな気がする。それで十分。
2周目のストレート。突如水煙が立ち上る。既にこちらは加速状態。2速から3速。3速から4速。この時ばかりはクルーチーフの声が「美しく」聞こる。
前後を確認しながら左へ寄る。
ストレートから1コーナーはコースの左側が低い。左側の池が深い。しかも1コーナーは左回り。みんなわれ先にコースの右側に移ろうとする。4速に入っているというのに、ストレートでブレーキをかけるヤツもいる。追突しそうになったか。
とにかく1周目の1コーナーはアウトインアウトでなくてもかまわない。とにかくインにつく。
光っているところが水溜りだ。黒い部分は濡れているだけだ。そんなことも誰かに聞いたなぁ。あれは小学生の時にいったキャンプでのことだったか?
右側に3列縦隊になってひしめき合っているクルマの群れのほんの少し内側。4mほど離れたラインで、かつ黒い部分をはずさないように加速する。「4mも離れていれば、誰もがこっちの存在に気づくはずだ。」
結果的にミドルインになった1コーナー。クリッピングポイントを過ぎてリアビューミラーに目をやれば、案の定何台かが回っている。
1台分アウトに空けて立ち上がると、その空間に1台のマシンが。2コーナーまで併走。でも2コーナーは右回り。ブレーキング手前でイン側のドライバーを指差して、その指を強く振る。
イン側のクルマが「フッ」と消える。こちらの意図をわかってくれた。1周もしていないのに危険を冒す意味は全く無い。彼も同じ思いだったのだろう。前のクルマとの距離はあるが、これで1列になれた。「レースはここからだ!」
案の定、小降りになった雨と40台近いクルマが走るせいで黒い部分が圧倒的に増えだした。レインタイヤを履いているクルマが立ち上がりでテールを振る。中には曲がりきれずコースアウトするクルマも。
いつもより、いつもよりはるか手前からずっと少ない舵角でコーナリングを始め、理想のラインに乗せる走り方にも慣れた。思いの他横Gも感じる。嬉しい。実に嬉しいし楽しい。
なによりも、人的努力で「雨」を克服した意味は大きい。むろん、速い2台もこちらのペースにはついて来れない。
チェッカー。何かとてつもないことをなし終えたような充実感というか達成感というか、いや安堵感がある。
コーナーワーカーが、この日ばかりはサムアップではなしに拍手で迎えてくれる。やった! ボクが教えた日本的な最敬礼をしてくれるオフィシャルもいる。
ピットに戻る。クルーチーフはいつも通りいない。ベルトを外す。ネットを開け降りる。この日、自分の次に主役だったタイヤからは水蒸気が立ち上っている。グルービングのエッヂも丸くはなっているが、キチンと残っている。
「ハイ!」後ろからの声に振り向くと、麦茶を入れたコップを持ったクルーチーフ。レースを始めてから、初めてピットで会話を交わした記念すべき日となった。
ウイロースプリングスレースウエイ編 終わり
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