アメリカ−偉大な教師
アメリカに初めて来たのが76年6月。いらい20年あまりをアメリカはロサンゼルスを拠点に生活してきた。目的は、アメリカからいろいろなことを教わるためだ。主要なテーマはクルマ。「車はもっと楽しいはず」という仮説の元に、「では何ができるか、何をすべきか」という質問を自分自身にぶつけてきた20年間だった。住んでみるとアメリカは実際に期待以上のものを与えてくれた。もちろん生活してみるとネガティブな面をたくさん見ることになるのだが、それを差し引いても、ことテーマがクルマであり、目的が車の楽しさを追求することである限り、アメリカはボクにとって偉大な教師たりえた。アメリカが教えてくれた素晴らしさを日本に伝えるのがボクの生涯の役目だと思っている。感謝の意をこめて。
グラスルーツレースの象徴としてのSCCA
人生の後半をアメリカで過ごすことにしたのには理由がある。その全てをここで説明する紙幅はないが、「アメリカでレースに出たかった」というのが理由のひとつではあった。結果的にその願いはかない、望外な収穫を得ることになる。
もちろん初めてアメリカに来る前から情報を集めて勉強はしていた。日本で果たせなかったレーシングドライバーとしてのデビューを飾るためだから、アメリカにはどんなレースがあるのか、どんなカテゴリーがあるのか、自分の資力でも参加することが可能なのか、などなど。
正直言おう。FIA→JAF→レース業界→レースメディアというトップダウンの構図の中で育った(?)ボクも、アメリカではオーバルレースが盛んだとは知っていたが、内心拒否反応があったことは事実。10数年たって日本のレースエンジニアに「あんなグルグル回るレースのどこが面白いの?」と聞かれたことがあったが、かってボクも同じ気持ちを持ったことがある。
だから、アメリカに居を構えてからまずたずねたのが全米のロードレースを統括しているSCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ)の南カリフォルニア事務所だったのも自然な成り行きだった。当時はノースハリウッドにあったその小さな事務所を、期待を胸に訪ねたものだ。
今では考えられないほどの円安、確か1ドルが220円〜240円くらいだったから生活は楽ではなかったが、アメリカでの暮らすこと自体は困らなくなった1981年のことだ。
とりあえずSCCAの全体を正確に把握したかったので、GCR(ゼネラルコンペティッションルール:日本の国内競技規則にあたる)と各クラスのSpeC BOOk(スペシフィケーションブック:同、日本の競技車両規則)を購入。しばらくは辞書を片手に机に向かう日々が続いた。
まず驚いたのが、クラスの多さ。カテゴリーの分類は、フォーミュラカー、スポーツレーシング、プロダクション、GT、IT、ショールームストックの6つだが、それぞれにクラス分けがあるので、なんと当時ですら25クラスもあった。
これには感激した。簡単に言えば自分の好きな車や持っている車で出られる可能性が高い。
レースに出るとかレースに興味があるのは車が好きだからだ。ならば誰しも自分が気に入っているか、あこがれている車があるはず。ところがメーカー主導のFIA→JAF路線ではレースに参加する資格のある公認車両の数も限られている。レースに参加する車は好きな車というよりレースに参加するための道具という意味合いが強い。
SCCAが参加者のために用意した膨大なメニューを改めて紹介しよう。
フォーミュラカーは文字どおり単座レーシングカーで、一番上からFアトランティック、Fフォード2000、Fフォード、Fヴィー、F440の5つ。
スポーツレーシングはいわゆる2座席レーシングカーのことで、昔日本にあったGCレースや現在行われているSJレースのようなもの。排気量に応じてCSRとDSRのふたつ。以上のクラスが純レーシングカーのカテゴリー。
純レーシングカーとあえて分けたのには理由がある。フォーミュラカーとスポーツレーシングは専用の部品で構成され、かつ車両規則で改造できることとできないことが明文化されている。つまり製造者が異なっても基本的な車両性能は一元的な数値に落ち着くものだ。従って、車の性能はおおむね単位重量あたりの出力で決まるから、クラス分けは単純に排気量別でさしさわりはない。
他の4つは量産車車から派生した、あるいは移行したカテゴリーになる。
まずツーシータースポーツカーをベースとしたプロダクションクラスがある。モデルとしては、古くはオースティンヒーレースプライト(あの蛙目、フロッグアイ)やMGのモデルA、B。ちょっと前ならフィアット1/9。新しいところではマツダのミアータ(日本名はロードスター)。
と書いてくると、「エッ?スプライトが走っているの?ヒストリックカーレースの間違いじゃないの」なんて声が聞こえてきそうだが、SCCAのクラブレースは決してヒストリックカーレースではない。古いモデルも走れるが、れっきとした現役の車を集めたロードレースだ。
1960年製のモデルが、それよリ30年も後に作られたモデルが一緒に走れるのには理由があるのだが、これは後にゆずるとしてカテゴリーとクラス分けの話を終えてしまおう。
プロダクションクラスはD、E、F、G、Hの5クラスに分けられる。Dにはポルシェのような大排気量で比較的高価な車が走る。Hには先のスプライトのような1000ccにも満たない排気量の、比較的古い年代のモデルが属する。
GTクラスはセダンが対象で、1〜5までの5クラス。クラス1にはアメ車のカマロやムスタングといった排気量5リッターを超える車が、クラス5にはミニクーパーやスターレットなどのスモールボア(小排気量というアメリカのスラング)がリストアップされる。2〜4クラスはその中間を埋めるモデルが勢揃いする。
プロダクションとGTは改造範囲がかなり広く、昔日本にあった特殊ルーリングカーの規定をはるかに上回る。もちろんオーバーフェンダーをまとうこともできるし、潤滑装置をドライサンプに改造することもできる。
その上、グラスルーツレースだからほとんどの参加者はユニボディ(生産車のモノコックボディ)をそのまま流用しているが、その気になればチューブフレームのマシンを作ることも許される。
このふたつのクラスのマシンは見ているだけでも面白い。参加者がそれぞれに施した工夫が随所に見られるからだ。当然ハイテクなどでは決して見当たらないが、レースは走るだけでなくマシンを作る過程も十分に楽しいことを教えてくれる。
次のITクラスとはインプルーブドツーリングカーの略。基本的に公道を走行できる範囲の改造しか許されてないから、エンジンはストックで組み付け誤差を修正することしか許されていない。が、安全規定とサスペンションはGTに準じるから、立派なレーシングカーであり、最も過激なレース(?)が見られるのもこのクラスだ。タイヤは、プロダクションとGTがスリックタイヤの使用を許可しているのに対し、いわゆるレーシングラジアルまでとされる。
このIT。クラス分けは速い方からGT、A、B、C、の5つ。地区によってはRX−7とかのワンメイククラスもあるが、全米規模では5つのうちのどれかに属す車両が公認される。
最後のショールームストックは文字どおり、ディーラーのショールームから出てきた状態の車両で行われるクラス。安全規定を満たす必要があるほかレーシングラジアルの使用も認められるが、あくまでも日常使用している車でレースを行うというのが建前になっている。クラス分けはGT、A、B、Cの4つ。
さて、6つのカテゴリーに25のクラス。それはもう、見たことがあるひとでないと想像できないと思うが、パドックはさながら自動車の品評会。参加者やオーナーの人となりが表れている車ばかりだから、見ていても飽きることがない。
ひとつ残念なのは、日本のモータースポーツ界がJAF主導で動いている限り、SCCAのクラブマンレース的な、多彩な表情を持つグラスルーツレースが実現しそうにないことだ。
SCCAの思想
SCCAが認めた車両には、FIAやJAFが言うところの公認期間がない。SCCAがあるモデルを認める理由は、そのモデルで参加しようとする個人がいるからであって、メーカーが高い上納金(公認料)をJAFに収めて申請しなければ公認されないのとは根本的に違う。別項で触れるが、その公認のしかたもまさにアメリカ的。
そして、これもSCCAならではの思想なのだが、量産車移行の車両のクラスが排気量で分けられていないのが特筆に価する。
いわゆる規則でがんじがらめになった(その実、規則の抜け道を利用して不公平な競争が行われている)FIAやJAFのルールになじんだ向きには理解しにくいことかも知れない。しかし、柔軟な規則の運用、つまり人間と人間の徹底した話し合いが文字に書かれた前例主義に優先するという考え方だが、それがあったからSCCAは50年間アメリカの底辺のロードレースを育ててこれたし、その綿々と続いた人間同士の議論と工夫がSCCAの歴史を作り上げたと言える。
ともあれ、生産車移行のカテゴリーに関してSCCAは、個々のモデルの"ポテンシャルパフォーマンス"を基準にクラス分けを行う。要するに潜在性能だ。各カテゴリーごとに決められた改造を施した時、各モデルが発揮する性能を比較してそれぞれのクラスにあてはめることになる。
例えばあるメーカーが同じモデルに異なるエンジンを搭載して販売していたとする。片方が1.6リッターのDOHCでもう一方が1.5リッターのOHCだとしよう。DOHCモデルは2リッターOHCエンジンを搭載した他のメーカーが走るクラスに組み込まれ、OHCモデルはこれまた他のメーカーが販売する1.3リッターのDOHCエンジンを搭載したクラスで走ることになる。
日本のレース関係者からは、「なんでそんな面倒くさいことをする必要があるの?」と言われそうだが、逆の見方をしてもらえば納得できるのではないか。日本は何がなんでも高性能でなくてはならないと最も性能の高いモデルをレースカーのベースに選ぶことが当たり前だが、そうすることでレースに参加しようとする人は性能も高いが値段も高いモデルを買わなければならなくなる。
ところがレースに出たい人もいろいろな考え方を持つ人や様々な環境の人がいるわけで、極端に言えば、DOHCしかレースに出れませんとなると、OHCしか買う予算のない人やたまたまOHCモデルを持っていた人はレースに参加できないことになる。
ところがSCCAでは、いやアメリカでは選択を参加者(消費者)に委ねるのが当たり前。いや、別にSCCAやアメリカの懐が広いと言っているのではない。スポーツとしてもビジネスとしても、消費者の選択肢を広げることが社会的に認知される第一歩なのだ。仮に1.5リッターOHCモデルを選んだ人が1.3リッターDOHCモデルに勝てなくても、SCCAは関知しない。参加者(消費者)は多くの選択肢を与えられているからこそ自分で下した選択には責任を負う、という図式。
単純に計算できる話ではないが、選択肢を増やせばそれだけ選ぶ可能性がある人が増える、というのは近代マーケティングの鉄則のはずだ。
プロダクションとGTクラスでは、性能差を少なくするためにクラス分けとは別にSCCAがモデルごとの仕様を決めている。そう、それが前述のスペックブックで、公認されているモデル1台ずつにSCCAが定める仕様が明記されている。
スペックには、モデル固有の車重、前後のトレッド、ホイールベース、ホイールの径と幅、変更できるキャブレターの種類と個数と最大ボア径などの規定値が書かれる。クラス分けの次のステップとして、モデル間の性能差をなくすためだ。
例えばの話。60年製のスプライトと78年製のフィアットがプロダクションGクラスで走っている。常識的に考えれば新しいモデルの方が速い。ましてフィアットはミッドシップだ。ところが両方ともHクラスにしては速すぎるし、Fクラスに入れるには遅すぎる。そこでスペックによる性能の均一化が行われる。そして、このスペックはレースの安全面にも大きな役割を果たしている。
スプライトは昔の車だからホイール幅が狭い。4インチリムが標準だった。太いスリックをはくためにはホイールの幅を広げる必要があるのだが、もともと細いタイヤ用に作られているスピンドルの強度はそれほど高くない。従って車重を押さえれば負担が減るわけで、ホイールの最大幅を5インチに規制する代わりに車重をフィアットより180ポンド軽くして32φのサイドドラフトキャブレター2基の装着を許可する。
一方のフィアットはエンジン自体がDOHCだからキャブレターは38φのダウンドラフト1基とし、車重が重い分ホイール幅は6インチまでとする。
結局、パワーは少ないが軽量のスプライトが細いタイヤをスライドさせてヘヤピンを立ち上がる一方で、より大きなトルクと太目のタイヤでしっかりとグリップしたフィアットが同じような速さで加速する。
4速全開のコーナーではスプライトが完全な4輪ドリフト状態になり、ドライバーはスロットルだけで自在にドリフトアングルを変化させベストラインをトレースする。1サイズ太いスリックをはいてもウエイトを積んだ車重のせいで外にはらもうとするフィアットを、スプライトのドライバーが丁寧なスロットルワークでラインに乗せて追いかける。
こうして古い車と新しい車が、お互い現役同士として白熱した争いを繰り広げる。
ちなみにモデルの公認は年2回、スペックの見直しは年4回SCCAの技術委員会で行われるから、遅いモデルがいつまでも遅く、速いモデルが勝ちっぱなしという状況は決して生まれない。
SCCAはモータースポーツの行政府
SCCAの本部はコロラド州のデンバー近郊にある。ここが5万3000人のSCCA会員と全米に点在する115以上の支部(リージョナルオフィスと呼ぶ)を統括している。
全米で行われる年間2000近くの公認レースを実際に運営するのは各支部で、本部に集められた会費が会員の数に応じて支部に配分され、それが支部の活動費となる。アメリカの連邦政府と同じやり方だ。
本部には評議会があってレース規則や車両規則を制定しGCRやスペックブックを発行するが、各支部にもその地区(リージョン)の会員が互選して決める委員による評議会がある。それぞれの支部のレーススケジュールや前述のRX−7クラスなど支部独自の規則は支部の評議会が決定する。
この会員の互選による委員の決定なんてのがいかにもアメリカ的。支部の会員の投票で委員が決まるから、立候補しても当選するとは限らない。だけど、自分達のルールは自分達が選んだ人に作ってもらいたい、という主張がよく表れている。
レースには2種類ある。全米選手権レース(ランオフと呼ぶ)に招待される資格を争うナショナルチャンピオンシップと各支部単位の選手権を争うリージョナルチャンピオンシップだ。
具体的な例でレースの仕組みを説明する。
ボクが所属していたのはロサンゼルス地区を統括するCSCCリージョン。CSCCリージョナルシリーズを主催する。年間9戦で行われるこのシリーズで勝てば、CSCCチャンピオンということになる。ちなみにボクはシリーズ1位を2回、2位を2回、3位を1回、参加レース数が少なかった年に4位を2回獲得している。
同じCSCCがナショナルシリーズを主催する。しかしリージョナルシリーズと異なるのは、ナショナルポイントがリージョナルより広い地域、デビジョン単位で集計される点だ。全米に8つのデビジョンがあり、CSCCは南太平洋デビジョンに含まれる。このデビジョンはサンフランシスコからサンディエゴまで、ほぼカリフォルニア全域をカバーする。ちなみにボクは、デビジョナルチャンピオン1回、2位を1回、3位を1回獲得している。
全米で開催されるSCCAレースの頂点に立つのが前述のランオフ、全米選手権だ。メジャーリーグベースボールやNBAのプレイオフのような、チャンピオン決定戦のようなものだ。
デビジョナルシリーズで上位3位までに入ると、ランオフに招待され、当時ランオフが行われていたジョージア州のロードアトランタまでの旅費が支給される。8つのデビジョンからトップ3が集まるので24人。枠があればデビジョナル4位以下のドライバーも自費参加できる。いずれにしろランオフに参加するドライバーはつわものぞろい。そこで勝てば晴れてSCCAナショナルチャンピオンということになる。
ちなみに、ボクは2回ランオフに参加し6位に入賞した。全米で6番目だ。もう1回は2位のマシンを追っていて不覚にもコースアウト。ピットで修理してから追い上げたが無念の13位。ボクのあとにヒロ松下さんと日本に戻ってフォーミュラトヨタをやっていた植村宏臣君がランオフに出走したが、今のところボクの6位が最上位だ。
エヘン。
トヨタと三菱のSCCA参加
81年から85年の初めまで米国トヨタのモータースポーツコンサルタントとTRD USAのコンペティッションマネージャーをしていた頃に、スターレットの公認をめぐってSCCAとオフィシャルに接触する機会があった。
当時米国トヨタはモータースポーツイメージの浸透が販売戦略のひとつで、日産が圧倒的なシェアを誇っていた当時のSCCAのレースでトヨタ車を増やそうと試みていた。
レース用に改造したスターレットの仕様書、レース用部品がアメリカ国内で誰にでも買えることを証明するカタログと販売元の資料など、莫大な資料をそろえてSCCAに提出した。
最初SCCAはアメリカでは見かけないデロルト製キャブレターに疑問を持ったのか、我々が要望するGT5クラスではなく、1400ccの日産サニーが走るGT4クラスへの編入を提示した。
しかしKP61スターレットはOHVエンジンだからGT4では不利になる。結局、日本から取り寄せた実車をデンバーにあるSCCAの本部まで持ち込んでの直談判になった。
文章に表わせるほど簡単なプロセスではなかったが、最終的にはこちらの希望するGT5クラスでミニクーパーや1300ccのアルファロメオと戦うことになった。
90年から94年まで米国三菱のグラスルーツモータースポーツプログラムを推進していたこともあり、ここでもSCCAと車両の公認の問題で交渉を持ったことがある。
それまでの三菱がやっていたモータースポーツ活動はワークスチームをプロレースに送り込むことぐらいで、広く一般にグラスルーツレースを支援するような戦術はとっていなかった。
まずこの点をSCCAは警戒した。当時売られていたエクリプスのSOHCモデルをGT4クラスに認めて欲しいという要望に対し、GT3だという。既にGT3には1600ccのDOHCエンジンを搭載したモデルが走っているから不利だと主張するが、走ってみて不具合が出た時点で調整すればいいではないかと切り替えされる。
結局、最終的にはトヨタも三菱もボクの希望するところへ落ち着くのだが、そこへたどり着くまでの道のりは、正直言って険しかった。が、ことSCCAに関しては、主張が広く公平で普遍的なものである限り交渉の座につくことができた。
ちなみにSCCAの車両公認には一切費用はかからない。申請するのがメーカーやその代理人でなくてもかまわない。SCCAが組織であろうと、全てはひとり対ひとりの交渉から始まるのだ。
それにしても、参加者の視点でここまで規則を柔軟に運用する努力はたいしたものだ。まぁ、これはSCCAに限らずアメリカと言う社会がそうなのだが、何をやるにしても道が閉ざされていない状況は人間にやる気を起こさせる。主張しなければ何も変わらないが、主張すれば主張が通る。もちろん主張を通すためには相当な努力が必要だが、それで自分の生活が一歩前進するのだったら誰でも努力を惜しまないだろう。
ボク自身、SCCAとの付き合いの中からアメリカの民主主義の一端を学んだと言っても過言ではない。
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