ショートトラックレーシングのすすめ
メジャーリーグベースボールやNFL、そしてNBAや自動車レースのビッグリーグには、ひとつの共通点がある。それらが観客に見せるための競技として行われている点だ。いわばスポーツエンターテイメント、あるいはショーとして存在する。
逆に、数あるモータースポーツの中のショートトラックレーシングは参加することが目的のスポーツとして位置づけられる。実際にショートトラックには観戦する人がスタンドに座りただレースを見るだけではなく、自ら参画することを積極的に楽しむ環境がある。
ショートトラックレーシングではドライバーやレースカーを所有するオーナー、マシンをメンテナンスするクルーだけが参加しているのでも、彼らだけでショートトラックレーシングが構成されているのでもない。土曜日の午後、ショートトラックに集まるファンをなくしてはレース自体が成り立たない。クルマに興味があり、レースに少しばかりの好奇心があり、何かを見つけたいという気持ちを持ってショートトラックを訪れる人が、直接参加する人と同じ視点でレースを楽しんでいる。それがショートトラックレーシングの最大の特長だ。
例えばベンチュラレースウエイで行われるUSACのレースを見に行くとしよう。
もちろん最初にするべきことは道順を調べることだ。ついでにゲートが開く時間も問い合わせたい。目指すレースウエイに向かうことからショートトラックレーシングへの参加は始まるのだから。
カメラと十分な量のフィルム、オートグラフをもらったりメモをするためのサインペンとノートを忘れずに持っていこう。履いていく靴は歩きやすいものが良い。お気に入りのレース、あるいはドライバーがプリントされたティーシャツを来ていこう。帽子も忘れずに。陽が落ちると寒くなるから、簡単な防寒具もほしい。ストップウォッチがあれば持っていきたい。さぁ、ショートトラックレーシングに参加する準備は整った。
ゲートが開いた直後に到着するように出かけたい。そうすれば、レースに参加するドライバーやクルーが受付けをしたり、予選出走順のくじを引くところに立ち会うことができる。見たこともない専用のトランスポーターがピットに入る順番を待つため列をなしているのも見ることができる。まよわずピットパスを買おう。ピットパスにはスタンドへの入場券も含まれている。そして、まずピットへ行こう。プログラムを買うのも忘れずに。
ピットロードに足を踏み入れると、トランスポーターからおろされ出走前の準備が進められているミヂェットやスリークォーターミヂェットが目に入る。ところ狭しとならんだマシンのそばには、テレビで見たことのあるビッグネームを見かけるはずだ。プログラムに目を通してドライバーの名前とカーナンバーを覚えておくのもいいだろう。
次に、その日のお目当てのドライバーを決める方法を考えたい。既にビッグタイムレーシングに参加している新進気鋭のドライバーにするか、シリーズポイントをリードしているドライバーか、それとも最も年配のドライバーにするか、あるいは旧式のマシンで奮闘しているドライバーに注目するか、それはあなた次第。候補のドライバーが決まったら彼らのピットへ行こう。ドライバーがそこにいなくても、すぐに現れるはずだ。声をかけてみよう。調子を聞いてみよう。オートグラフももらおう。恐れることはない。礼儀さえ守ればいい。彼らはあなたと同じ、特別な人ではない。
ピットを歩きながらマシンのセッティングの違いを見つけるのも楽しい。例え同じマシンでも、タイヤのグルービングの数に違いがあったり、ホイールのオフセットが異なっていたり、ライドハイトに差があったり。ドライバーの好みとその日のトラックの状況に合わせた様々なセッティングが見られる。
なぜマシンによってオフセットが異なるのか、わからなければ聞いてみよう。タイヤのトレッドパターンが左右で異なる理由をたずねてみよう。クルーはていねいに答えてくれるはずだ。ドライバーもそうだが、クルーも注目されることを嬉しく思わないことはないし、楽しみにしているはずだ。
ひととおりピットを回ってもまだ時間はあるはずだ。もう一度各マシンをチェックしよう。写真を撮るのもいい。特にサスペンション周りとタイヤはアップで撮っておきたい。次回、USACのレースを見に来る時は撮った写真を持って来よう。春のレースと真夏のレースでは、セッティングに大きな違いがあるのを発見するはずだ。セッティングの変更を記録するために、毎回同じ角度から写真が撮れるようにアングルを覚えておくのもひとつの手だ。
もしあなたが多少なりともクルマに興味があるなら、ピットはまさに宝庫だ。左右でタイヤの太さも径も異なるマシン、左右のの車高が違うマシン、はては左右のホイールベースが違うマシンすらある。なぜそんな奇妙な構造のクルマが信じられないスピードで走れるのか。ドライバーは乗りにくくないのか。ピットに並んでいるマシンを眺めているうちに、素朴な疑問がわいてくるに違いない。
クルーにその疑問をぶつけてみよう。詳しい技術的な知識は必要ない。「なぜそうするのか」がわかれば十分。クルーもドライバーもそんな「なぜ」を問い続けて重ねて速さを身につけてきたのだから。
予選前のプラクティスのためにトラックがホットになる時間が近づいたら、スタンドに移動しよう。できるだけトラック全体が見渡せるところに陣どりたい。やがてプッシュカーに押されたマシンがトラックに現れる。いくつかのグループに分かれて走るから台数は多くない。ゆっくり観察するいい機会だ。
ウォームアップを終えグリーンフラッグが振られるとホットラップが始まる。ストップウォッチを持っていたら、何台かのタイムを取ってみよう。1周400mのダートトラックをミヂェットがどのくらいの速さで走るのかおおよその見当がつくだろう。同時にタイムの速いマシンやペースの上がらないマシンに注目したい。ターンをギクシャクして回っているマシンはないだろうか。ステアリングと格闘しているドライバーはいないだろうか。ピットで見て速そうに思えたマシンは、やはり速かっただろうか。それとも...。
プラクティスが終わったら、そんな情報を整理しながら予選までの時間を有効に使うためにピットへ向かおう。既にクルーの手でマシンのチェックが始まっている。プラクティスでタイムのでなかったマシンほど、何らかの対策を施しているはずだ。スプリングの交換か。異なったトレッドのタイヤを使うのか。車高を調整するか。あるいはエンジンを交換している場面にすら遭遇するかもしれない。
「なぜそうするのか」聞いてみよう。作業の邪魔にならない範囲でなら、気さくに応えてくれるはずだ。あなたも何が行われているのかを知りたいだろう。予選のために1秒を争ってマシンを調整している場合なら、彼らも「悪いけどあとで来てほしい」とはっきり言うだろう。ショートトラックレーシングではクルーもふつうの人だ。彼らも今は知っていることを知らなかった時がある。自らが得た知識と経験を快く分けてくれるはずだ。そして、知りたいと思うことを聞くということは、即ちショートトラックレーシングに参加していることに他ならない。それは、彼らにとっても喜びだ。仲間が増えるのだから。
クルーがセッティングの終わったマシンに泥よけのマッドオフをスプレーし始めたら、スタンドに戻ろう。そろそろ予選の開始だ。プログラムの中のエントリーリストを開こう。予選タイムを書き込む欄がある。その横にはトラックレコードの一覧表があるはずだ。予選タイムはアナウンスされるから、ストップウォッチは持たずに各マシンの走りに集中しよう。全てのマシンのタイムを書き込むこともない。例えば、トラックレコードから1秒落ちで走ったマシンのタイムだけひかえてもいい。少なくとも、誰が一番速かったかはわかるだろう。
1台ずつ走る予選は、ドライバーとマシンを確認する最後の機会だ。ピットでセッティングを変更していたマシンは速く走れるようになったか。2周計測される予選でラップタイムの差が少なかったドライバーは誰か。セッティングを変えたため、プラクティスの時と違うラインを走っているマシンはいないか。ヒートレースの前にもピットへ行く時間があるから、ドライバーやクルーに聞いてみたい質問を思い浮かべながら見るのがいい。
そろそろこの日応援したいマシンとドライバーが決まるころだろう。もうピットのどこにどのマシンがあるか頭に入っているだろう。ドライバーにレースを戦う作戦やどんな展開を予想するか聞いてみよう。そして、ピットをあとにする前に忘れずに「頑張って」と声をかけたい。これであなたもクルーの仲間入り。
あなたが席に戻る頃、一番目のヒートレースに出走するマシンが隊列を作っているだろう。アナウンスに注意したい。この日、ヒートレースがいくつあって、各ヒートレースの上位何人が直接フューチャーレースに進めるかについて説明があるからだ。
1周するのに13秒もかからないミヂェットのレースは、慣れないうちはアッという間に終わってしまうように思えるものだ。もちろん、それで構わない。
ただ、もしそのヒートレースに注目するマシンが出ていたら、その走りを追いかけてみよう。彼がどこで前車を抜くか、あるいは抜かれるか。余裕があればストップウォッチを使いヒートレースの走りを予選のそれと比較してみるのもいい。集団で走る場合は、同じようなラップタイムで走っていても、走行ラインが異なる場合が多い。
注目していたマシンの走りはどうだったか。応援するドライバーは何位でヒートレースをフィニッシュしたか。スタート順に比べて最もポジションをあげたのはどのドライバーだろう。プログラムに用意された空白にメモをするのもいいだろうう。
全てのヒートレースが終わると、ヒートレースから直接フューチャーレースにトランスファーされなかったドライバー同士のコンソレーションレースが始まる。敗者復活戦だ。コンソレーションレースの上位何人がフューチャーレースに進めるかもアナウンスで説明される。
最上段に上ってスタンドの裏にあるピットを俯瞰する。フューチャーレースの出走がかなわなかったチームが、マシンを片づけているだろう。身近なショートトラックレーシングといっても、レースはレース。結果が全てなのはビッグタイムレーシングと変わらない。
フューチャーレースが始まる前にもピットへ行く時間はあるが、ここはスタンドにとどまっていたいところ。ヒートレースを見ていた隣の人に、誰を応援しているのか聞いてみてはどうだろう。なぜ応援するのかたずねれば、あなたがピットで見つけられなかった情報を教えてくれるかもしれない。誰に勝ってほしいか聞いてみるのもいい。あなたが知らない理由があるのかもしれない。
当然、あなたが仕入れたエピソードの数々も公開すべきだろう。情報の質に上下はない。あなたが足で集めた情報がつまらないだろうとか、くだらないだろうとか悩む必要はない。自分ではそう思えても、ピットで得た情報はショートトラックレーシングをみんなで楽しむための貴重で有効な手段になる。短期決戦のショートトラックレーシングで、一人で全ての状況を把握することは不可能だからだ。
フューチャーレースは30周。コーションフラッグがでなければ、たった7分のレース。が、ピットで話を聞いたドライバーが言った通りの展開をするのを見れば、あなたが密かに注目していたドライバーが後方から追い上げるのを目にすれば、チェッカーまでの時間は永遠に広がるはずだ。
チェッカーを最初に受けたドライバーだけがスタンド前に戻ってくる。彼はあなたが応援していたドライバーだろうか。それとも全く意識していなかったドライバーか。ともかくトラックアナウンサーのインタビューに応えるドライバーの声に耳を傾けよう。トラックのコンディションはどうだったのか。何が勝因だったのか。トラブルはなかったのか。そして、もちろん最後には立ち上がって盛大な拍手を送りたい。
レースが終了しても、駐車場に向かうのはもう少しあとにしよう。最後にもう一度だけピットをのぞいてみたい。予想以上の成績にわくチームもあれば、トラブルで戦列を去り意気消沈しているドライバーもいる。しかし神経質になっている人はいないはずだ。なにそろ、ショートトラックレーシングはきちんとした結果の出るスポーツだ。勝つ方がいいに決まっているが、結果に拘っていても楽しいはずのレースがつまらなくなるだけだ。
話を聞くといい。ドライバーやクルーがレースを振り返りながら、スタンドからは見えなかった展開を教えてくれるだろう。
そしてピットを後にする前に、全ての人にとは言わないが、可能な限りこの日話を聞いたチームに顔を出したい。ていねいな挨拶をする必要はない。「おやすみ」を言うか、手を挙げるだけでかまわない。この日の成績がどうであれ、あなたの一言が来週のレースで彼らの活力になるのだから。
駐車場のクルマに戻ると、足がいささかだるいのに気がつくだろう。少しばかり疲れを覚えるかもしれない。しかし反面、どこか気持ちが昂揚している自分を自覚するはずだ。この日あなたが足でかせぎ目と耳で体験したことは、まぎれもなくショートトラックレーシングに参加したという事実なのだから。
さて、次はいつベンチュラレースウエイに行きますか。来月。それとも半年後。あるいは来年。その時、観客としてピットパスを買いますか。クルーとしてピットに入りますか。それともドライバーとしてレースに参加しますか。
日本のレース界に期待する
ここに掲げた文は、来る日に備えて書いておいた広報資料の下書きだ。書いたのがまだ日本にショートトラックはおろかダートトラックもなかった頃だから、レース場はボクが足げく通ったベンチュラレースウエイ、レースはボクの一押しのミヂェットが素材になっている。そして来る日とは、ツインリンクもてぎのダートトラックが完成し、報道機関にお披露目をされる日のことだった。しかし、下書きは清書もされずフロッピーに落とされたまま。日の目を見ることなくツインリンクもてぎのダートトラックはオープンする。
なぜ今ごろそんな埃をかぶった文章を引き出してきたかというと、この下書きに記したことこそボクが日本に持ち込みたかったレースの情景のひとつだからだ。そして、この情景こそ今の日本のモータースポーツに必要なことだと強く感じるからだ。
ホンダとトヨタのF1参戦発表で、日本国内でもおそらくモータースポーツが注目を集めるだろう。しかし、それが自動車レースをスポーツとして、エンターテイメントとして定着させることにつながるとはどうしても思えない。よしんば、日本のメーカーがF1GPで優勝しても、モータースポーツという大きな絵で見れば、何年経っても日本のモータースポーツは不毛のままである確率の方が高い。
なぜならば、メディアをにぎわすことになるだろう諸々のことはあくまでもメーカーの企業戦略の結果、つまり私的なものでしかなく、決して市場の要求があって発生した公的なものではないからだ。
結局は、日本のモータースポーツが自動車メーカーと官僚の天下り先であるJAFに主導されてきたことが不毛の原因だ。しかし、それで善しとした日本のモータースポーツ界にも責任の一端はある。モータースポーツ界も市民の意見より、自動車メーカーとJAFという管理機構をありがたくいただいてきたのだから。
最近、「日本のモータースポーツもそれなりに頑張っているのに無責任なことを言うな」という意味のお叱りをいただいたが、それも違う。現在の日本が鎖国政策をとっているのならまだしも、今や世界中の情報が自由に手に入り、世界中を自由に移動できる時代だ。日本でモータースポーツを発展させようとするならお手本はいくらでもあるし、それができない日本の国力ではないはずだ。発展させたくないのか、それとも手本があっても発展のさせ方が理解できないのか知らないが、旧態然として発展していないのが実態だ。
ボクはこんな見方をしている。
日本人は、基本的に待つことに耐えられる人種だ。そして受動的に生きることを当たり前に思っている人種だ。かっての農耕民族は、豊作不作を天に委ねていた。自身の努力の結果が豊作であり不作ではなかった。日照りが続いて不作になれば、翌年を待つことが唯一の手段だった。自身の生き方とかけ離れたところで起きたことを、好むと好まざるに関わらず、すなおに受け入れることに慣れていた。享受したものの範囲の中だけで考え、生活し、収穫を上げることが自然だった。決して、その範囲から出ようと努力もしなかったし、出ようとすら思いつかなかった。
もともと定住民族の日本人は、自分の村を大事にした。居心地を悪くしないために、村全体の前には自己を覆い隠すことができた。村の平均値を自分の尺度にすることにも抵抗を感じなくなった。全ての努力は平均値を上回ることに向けられた。村単位で見ても平均値はあくまで相対的なものでしかなかったなかったにも関わらず、平均値の範囲にあることに安住を感じるようになった。結果、絶対的な個を喪失した。喪失したことにも気付かなかった。
確かに他力本願的な目から見れば、日本のレース界も頑張っているのだろう。でもそれは、相対的な努力でしかない。狭い村的な平均値からはじき出した、一人よがりの努力とも言える。全ての垣根が取り払われようとしている現代にあって、外に向かうよりもますます求心的になる可能性が高い思想だ。
4年ごとに行われる調査で、アメリカ人の87%が日本を世界で最も関係が深い国としている。日本のことは“スシ”、“箸”ぐらいしか知らなくても、日本という外国をきちんと認識している。日本で行われた同様の統計の数字は手元にないが、アメリカに比べてはるかに低い数字だったと記憶する。
しかし、そればかりではない。同じ統計の数字でも意味合いが決定的に異なるのは、アメリカがとりあえず他国に依存しなくてもやって行ける国だということだ。そのアメリカの数字が高く、国としても独立しているとは言い難い日本の数字が低いのは、やはりどこかおかしい。
一方、上意下達が蔓延する硬直した社会では、過程よりも結果が評価される傾向にある。結果は集団の総意であって、個の問題だとは定義されていないのだろう。それが自己完結型の人間が育たない理由ではないか。
ボクが最後に見た昨年の11月末の時点でも、ツインリンクもてぎのダートトラックは路面の土質、そして用意されている車両も、残念ながらアメリカの水準には程遠いものだ。つまり日本で行われている唯一のダートトラックレースは、100年の歴史があるアメリカのそれに近いのではなく、極めて日本的に解釈され日本流に翻訳したショートトラックレーシングらしきものでしかない。
路面を作るための土質検査に費用をかけ、レース車両を開発するのに多額の予算を使い、全てベンチュラレースウエイで行われているレースを日本で再現するために進められてきたのに、だ。はっきり言って、得られるテクニックはあくまでもツインリンクもてぎでしか通用しない。
だから、ベンチュラの、いやアメリカのショートトラックレーシングに魅了されているボクとしては、せっかく書いた下書きではあるけれど、共通の土壌ができたわけでもないから公表するのをやめた。
セッティングを変えても走行性が変化しない車両。グリップもせず、少し走れば埃が舞い上がる路面。アメリカに比べて複雑で高価な参加方法。当初、ダートトラックを日本の各地に展開する話が合ったが、それが立ち消えになったの当然の帰結か。
初期には、ツインリンクもてぎのミヂェットレースを戦う過程でUSACのクォーターミヂェットのトップドライバーと同レベルのテクニックが習得できて、ベンチュラレースウエイのレースに参加した場合には即トップグループを走れる実力を養える環境を用意したい、という構想があった。そんなドライバーが育ちアメリカのレースに挑戦することになれば、ボクの仲間のチームが受け入れてくれる手はずにもなっていた。
担当者は言う。「ボクが責任者なので、ダートトラックに関しては全て自分が決めます。トムさんは情報をくれるだけで構いません。自分が判断します」と。
言やよし。官僚体制と自動車メーカーの利益誘導で拡大してきた日本のレース界で、民意を最優先することができるダートトラックレースを実現してほしい。でも、もともとアメリカのショートトラックレーシングは体制とは縁のないところで始まりここまで発展したのだから、その思想だけは曲げないでほしいと思う。
ホンダは自動車メーカーだから、優れた商品を市場に提供することが第一義。それをたくさん売って利益を上げるのが企業の使命なのだから、宣伝のためにCARTにエンジンを供給するのもF1に参加するのも理解できる。
しかしホンダの子会社だからといって、ツインリンクもてぎが製品を作るメーカーと同じ発想では問題だ。ツインリンクもてぎは、今や生活に必要不可欠な存在とも言われるクルマという商品を作っているのではない。ひょっとすると世の中には必要ないかもしれない自動車レースという娯楽を商品として売っているのだ。硬いものと柔らかいものが同じ思想で売れるわけがない。
クルマの場合はその価格が高いこともあり諸費者はよく吟味して購入する。また趣向性の高いものでもあるから、消費者の選択に迷いが生じる可能性が少ない。逆に、スポーツは参加するにしろ観戦するにしろ、消費者がその限定された時間と空間を楽しむために散財する商品だから、消費者は限られた原資を有効に使うために無数の選択肢を持っているものだ。
アメリカから招聘するショー的要素のつよいCARTとNASCARのレースは、さしずめ東京デズニーランドに代表されるアミューズメントパークやコンサートなどの選択肢の中に含まれるだろう。参加型と呼ばれているミヂェットレースやカートレースは、スキーやスノーボード、サーフィンと同類の選択肢に属するはずだ。
いずれにしろ、モータースポーツが低迷しているということは、消費者が選択肢の中から自動車レースを選ばないという事実が背景にある。そこで問題なのは、なぜ消費者は自動車レースを選ばないか、なぜモータースポーツは選ばれないかという点が解明されていないことだ。本来なら、最も競争の激しい“好みが買われる”市場なのだから、もっとロジカルな議論とアプローチがあって然るべきはずなのだ。
ここにボクは、準官僚とメーカーに依存してきた日本のモータースポーツの危うさを見る。クルマという商品は完成した状態で消費者の手に渡る。欠陥やパーツディフェクトがあったとしても、とりあえず商品としては市場に受け入れられるレベルでメーカーの手から離れる。もちろんそれ以前に莫大な予算をかけた開発や試行錯誤があるに違いないのだが、その結果が商品という形になっているのだから、うがった見方をすればメーカーにとっては手離れのいい商品であるし、消費者にとっては選択しやすい商品だということができる。
一方、はっきりとした形もなく商品としての定義もないモータースポーツは、極めて売りにくい商品と言える。しかもこの商品は進行形の状態、つまり“生−なま”で売らなければならないから、やっかいでもある。つまりモータースポーツは、クルマと同じく莫大な要素から成り立ってはいるが、それらを完成させた後で消費者の手に渡すのではなく、完成を目指しながら消費者が払った金額の代価に見合うものを提供しなければならないという宿命にある。
レースの周辺にあるもの、例えば従業員の態度、レストランの食事、プログラムの内容といったものから、レース自体を正確に伝えるための広報活動まで、商品性を高めるための努力を、観客が全て引き上げるまで続けなければならない。
そんな商品を、上意下達の官僚主義と大量生産を前提としたメーカーの思考でで売ることができるのだろうか。そんな商品を扱うのにふさわしいのは、消費者と直に接点を持っている人たちだと思うのだが、残念ながら今の日本は、そんな人がレースに携われる環境にない。消費者を意識したアイディアは、流儀に反するとばかり排除される傾向にある。いわゆるシステムという存在が最も不得意とする分野だからだ。
だから、フレッシュマンレースから最高峰のレースにいたるまで、コスト意識もなく、同じようにプラクティスを設け、予選を行い、レースが終われば暫定表彰式まで組み込まれることになる。
結果、日本中にあるレースは太い細いの違いはあれど、全てが金太郎飴。それもきれいに整形されているものばかり。全日本選手権と異なり、フレッシュマンレースにはフレッシュマンレースに最も適した形があるはずなのだが、全てが相似形。決して片目をつぶった金太郎飴や、刺青をした金太郎飴を見ることはできない。
確かに金太郎飴だけなら収まりもいいし管理もしやすいだろう。だが、そうあることを求め、枠をはめようとするのは為政者の怠慢だ。クルマを速く走らせることが好きな人、クルマで競争するのが好きな人全てが「金太郎飴の味と値段」に満足することができるなら、それでも構わない。
しかし日本にも“本家金太郎飴”を欲しがらない層がいる。ドリフト族とかローリング族、暴走族と呼ばれる人達だ。彼らが味わってくれる保証はないが、少なくとも彼らの嗜好の対象として、金太郎飴の他に桃太郎飴や浦島太郎飴、あるいは後ろを向いた金太郎飴などを用意するのが為政者の責務だ。金太郎飴に飛びつかない層を切り捨てる発想こそ、日本のモータースポーツ不毛の元凶だ。
ボクは、ツインリンクもてぎのダートトラックに「耳にピアスをした金太郎飴」を期待していた。決して最初から桃太郎飴ができるとは思っていなかった。しかし、ボクが知っている限り、そこで展開されているのはまぎれもなく旧来の金太郎飴的モータースポーツでしかない。
現ツインリンクもてぎ総支配人の高桑さんに協力を依頼された時、元社長の小林さんにアメリカンモータースポーツ導入の話を聞いた時、ボクは涙した。ようやく日本にもバラエティに富んだ飴を提供するモータースポーツ施設ができるだろうことを、心から喜んだ。アメリカのモータースポーツがボクにくれたものをそこに生かし、アメリカに恩を返せると思った。
それにしても
それにしても、日本のモータースポーツの将来はいささか悲惨だ。
トヨタがF1参戦を発表するやいなや、それまでモータースポーツとは無縁だった一般紙が取り上げる。その最たるものは、読売新聞に載ったF1の解説記事。かなりのスペースを割いてF1GPの概要を説明していた。
それはそれで構わないのだが、運動部による記事なのに大メーカーが参戦することが明らかにならないうちは掲載できないのか。同紙が後援する2回目のチャンプカーレース開催まで1ヶ月をとうに切っていた日の新聞の記事だが、F1を紹介するならばその前後どちらかにチャンプカーの解説ができなかったものか。
これでは、まるで提灯記事だ。既に参戦を発表しているホンダではなく、日本の最大企業であるトヨタが「モータースポーツは是」と言わないうちは記事にすらしない、読者が知らないことを知らしめようともしない。いわゆるシステムが動き出さないと記事にできないと言っているようなものではないか。
システムがすることは、全てが是認される。その伝でいけば、ホンダとツインリンクもてぎとアメリカンモータースポーツは、まだシステムに組み込まれていないということになるのだろうか。しかしツインリンクもてぎもそれ自体が日本的、かつ金太郎飴的システムを持つ。ということは日本的なもの、金太郎飴的なものから、異質な文化であるアメリカンモータースポーツが芽生えることはありえないではないか。
それにしても、少しばかり急ぎすぎたようだ。日本のシステムは変革を求めていなかったようだ。市場も変革を期待していなかったようだ。
ボクはこの10年ほど日本のモータースポーツがおかれている状況を非常時だと思っていた。観客数は減少し、レース専門誌の売り上げはじり貧。電波メディアは相変わらずモータースポーツをバラエティ番組化する。展望が開けない状況だと思っていた。
しかし、それを危機的状況だと思っていたのは、自分の思い過ごしだったようだ。「公認金太郎飴」は時代によってやせたり太ったりはするものの、いつの時代もシステムの中に入っている限り金太郎飴のままでいられる。市場も金太郎飴だけで満ち足りている。お上が毒味していないものやシステムが認めないものは、例えそれが世界的に美味しいと評価を受けていても求めないのが日本の常識であり、システムと市場そのものなのだ。
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