十人十色とはよく言ったもので、モータースポーツが好きな人、あるいは実際にレースに関わっている人にも様々な立場の人がいる。レースを生業にしている人もあれば、純粋な趣味として大切にしている人もいるし、その人達がそれぞれいろいろな考えや異なる価値観を持っている。
"F1命"の人がいれば、「レースはやっぱりオフロード」と言う人もいる。レーシングカーに使われる先端技術に関心を寄せる人がいれば、レースそのものにあこがれる人もいる。中には自分で速く走るのは苦手だが、モータースポーツを見るのが大好きな人もいるだろう。
今回はこんな人もいるということを知ってもらうために、最近届いたメールの中から2通を紹介することにした。
最初はIRLインディカーレースに参戦中のショナサンボイドレーシングで働く日本人エンジニア、小川直人さんからのメール。彼はまもなくR&Sの開発するルマン用マシンの設計にも従事する予定だ。
アメリカ・モータースポーツの限りない底の深さ??
いやー、凄いものをみてしまった。
前戦のアトランタで(またしても)クラッシュ、モノコックまで破損する全損だったために今インディに来てまた一から車を仕上げている。そちらの方は順調に仕上がってもう明日にはロスへ帰る予定なのだが、今トラック・ドライバーをやっているインディ在住のドン・バロックが今晩、レースで旗振りをするという。
インディアナポリスはアメリカ・モータースポーツのメッカだけあってインディ500のIMSのほか、インディアナポリス・スピードパーク、スピードローム、その他にもダート・トラックの16thストリート、タラ・ホイテなど競技場はたくさんある。
スピードパークには去年スプリントカーを見にいって、これも700馬力ほどの馬力を絞り出すフロント・エンジンのスプリントカーが壁すれすれ、サイド・バイ・サイドの競り合いを繰り広げる迫力ものだったのだが、今日はスピードロームだという。行ったことはないし、競技形態もなんか違うらしいので行ってみることにした。そしたらまあ・・・。
あれはレース・トラックと呼ぶのだろうか。要はフットボール場みたいな、観客席に囲まれた楕円形の広場が全面舗装しているだけのもので、全周にわたって1.5mくらいのコンクリート壁と金網に覆われている。2個所ほどこの壁が開くところがあって、競技車はそこから出入りするらしい。俺が着いたときに走っていた車は"スーパーモディファイド"と呼ばれるもので、市販車のフレームを基本にしていれば後は結構自由なクラスで、前輪には結構豪勢なダブルウイッシュボーンがついているものの、後輪は板ばねリジッドで、しかしエンジンはフルチューンのV8で500馬力くらいはでているのだろう、それに車体はロールケージの周りを鉄板で覆った"マッドマックス"の戦闘車みたいだ。
しかしその走っている競技形態たるや・・・"フィギュア8"と呼ばれるものなのだ。つまりは8の字レースだ。 競技場の端の丸い部分にはタイヤが4つほど置いてあって一応コースの仕切りとなっている。その両端を結んだ8の字を走って競技は進められる。くっついて走っている最初のうちは良いが、14,5台いる競技車のこと、次第に間隔が開いてくると8の字の交差に同時に突っ込んでくることになる。
そうなってからがテクニック(?)の見せ所で、何も考えずに突っ込んでくると当然Tボーン・大クラッシュとあいなってしまう。そこで、コーナーの立ち上がりで交差通行の様子をうかがい、隙間をねらって全開にするわけだ。
そうは言ってもうまく切れ目がない場合など、ニアミスになったりタイミングを見切り損ねてフルブレーキ、とあいなったりする。ほとんどバンパーとドアがこすれているのではないかという間隔ですれ違い、火花が散ることもしばしばだ。速いときは100キロ近くも出ているだろう。こんなとんでもないレースを15‐20周に渡って繰り広げるのだ。それでも今日は予選だそうで、明日の決勝では3時間耐久でこれをやるそうだからなんとも・・・。
それでもさすがにみな慣れているのか、3,4レース見てもTボーン・クラッシュは一度もなかった。最後のストックカー(と言ってもこれはノーマルにロールバーを組んだくらいの代物だった)で一台派手に壁に激突して、バンパーがタイヤまで後退した奴がいたのが最大のクラッシュだったろうか。特にスーパーモディファイドの方は今日はあくまでも予選ということで皆セーブしていたのだろうか。
とにかく、俺も、一緒にみていたエンジン・ガイのジム、こいつはカナダ出身とは言え、俺よりははるかにこうしたアメリカのモータースポーツ事情に詳しいはずなのだが、二人でそろって目を点にし、あるいは笑い転げていた。
トラック・ドライバーのドンは今はレジェンドという、ヤマハFJ1200のエンジンを使ったキットカー・レースに出ているのだが、「いやー、レジェンドはフィギュア8に比べると刺激がなくって・・・」と言っていたのも当然だ。よくもまあ、ここまで危ないことを、随分と高額なはずな車を使ってやるもんだ、とあきれたり驚いたり忙しかった。
しかし、この後に更にとんでもない競技が待っていた。 これは"ロードランナー"とか言うシリーズで、要するに初心者向けのレースなのだが、この競技に出ている車たるや。すべて解体屋から直行してきたようなシロモノである。
いや、実際解体屋から拾ってきたのだろう。ガラスがないのは当然、ボディはべこべこ、ゼッケンは手書きでかきなぐってあるし、思い思いに馬鹿な台詞をペンキでかきなぐってある。
で、当然と言うかロールバーもなければシートベルトも、ノーマルの3点のみだ。シートも標準のベンチシートだったりするし、運転者はヘルメット以外は普通のシャツにGパンにグラブなし、安全装備のかけらもない。 さすがにこれでフィギュア8をやらせると危なすぎるからなのだろう、こちらは普通にオーバルにまわるだけだが・・・。
この競技車が勢揃いしたときからもう、ジムと二人で笑いをこらえるのに勢一杯だった。ところが、一台の競技車はもとがタクシーで、屋根に黄色いランプをのせたままだ。グリッドに勢揃いしたところ、いきなりこの黄灯を点滅させておまけにサイレンまで鳴らしはじめるではないか。
と、これに呼応するかのように皆、クラクションを大合唱させる。これにはこらえきれず、吹き出してしまった。後はもう、かきなぐってある台詞を読んでは爆笑し、タクシーの後ろに乗っている虎のぬいぐるみをみては吹き出し、一台の車の後ろにかかげてある海賊マークの旗を見ては笑い・・・笑いが止まらなくて涙が出てきた。ジムも横で椅子から転げ落ちていた。
競技が始まってからも、笑わせてくれるネタにはことかかない。一台の車の運転手など、片手でハンドルをさばき、もう片手は女の娘でも乗せているかのように、ベンチシートの背もたれの上にのせたままでコーナーを切っているのである。もっともこれはベンチシートでコーナーのサポートが効かないから片手で身体をホールドしているつもりらしかったが・・・。
当然スピンは続出、壁にボディをこすり付けながら一周する車もしばしば、中にはクラッシュでラジエターを壊しブラックフラッグを食った腹いせに、コースを外れたインフィールドでドリドリのパフォーマンスを繰り広げる奴もいた。
タイヤ・スモークとラジエターの水蒸気と、エンジンブローのオイルの白煙とで、場内はもうもうと煙が立ち込めていた。それでも良くみると結構スリリングなサイド・バイ・サイドのバトルなども見られるのが面白い。
しかし良くこんな安全装備で、死者とかでないもんだ。 入場料は10ドルで、スプリントカーなど、まっとう(?)な競技が5ドルくらいだったのに比べると割高だが、ここまで笑わせてもらえば価値はある。そうして、駐車場は満杯で仕方なく路駐したくらいだから、客の入りもかなりのものだ。スケジュールをみるとほぼ毎週、金、土の夜にはレース(?)が繰り広げられているらしい。
もちろん、こんなレースではステップアップも何もあったもんではないだろうが、競技者たちも観客も文句無しに楽しんでいた。いずれも典型的なレッドネック(アメリカで中西部、南部の田舎者のことをこう俗称する)ばかりで、煙草をすっぱすっぱ、ビールぐびぐび、大声でやじる・・・と言う具合だったが、きっとこうした連中が本当のアメリカ・モータースポーツの底辺になるのだろう。それで、年の一度のお祭りでインディ500にはキャンプを張ったりして騒ぎにいくのだろう・・・。IRLもCARTも知ったこっちゃない、騒げりゃいいんだ、みたいなのりで。
解体屋から拾ってきた車で出られるのなら、と少し興味はあったがさすがにこれは、命がいくつあっても足りない。でも本当にレースがしたくてたまらないが金のない奴にとっては救いの神なんだろう。
結論:アメリカのモータースポーツはとてつもなく野蛮で、しかし誰もに門戸が開いている。
過去、アメリカのレーシングチームでアメリカ人に混じって活躍した日本の技術者には鈴鹿美隆さんがいるし、藤森裕通さんは今もオールアメリカンレーサーズでチャンプカーの設計に携わっている。異文化の中で自分の目標に向かって進むのは困難を伴うことだが、小川さんには"キャデラック50年ぶりのルマン復帰"の立役者になってほしいと思う。
次は、日本に住むアメリカでレースに出たこともあるファンから。本人の希望で名前は伏せる。
私は3年間のアメリカ駐在生活の間に、憧れだったレースに出場したりいろいろな種類のレースを観戦したり本当に楽しい経験をする事が出来ました。
私は期待して日本へ帰国し日本でレース活動を再開しようとしました。しかしながら、一度アメリカで自由なレースを経験してしまった私にとって、今の日本レースを取り巻く社会があまりにもアメリカとかけ離れているため苦戦しています。
先日こんな話がありました。私はJAF非公認のレースを家内と見にいって、久しぶりに楽しいレース観戦をする事ができました。まず良かったのは観戦費がタダだった事です。SCCAの地方レースではそうだったので、気楽に仲間をレースに呼ぶ事ができました。日本では地方レースでもパドックパスや駐車場所を確保しなくてはならず、簡単に友達を呼ぶ事が出来ない感じですが、このレースは違っていました。
そして雰囲気です。沢山のナンバー付きの車が思い思いのスタイルでレースに参加していました。古い車もあれば新しい車もありました。自分のマシンが好きだから、これを使ってレーサー気分を味わいたいという感じが一杯出ていました。(レギュレーションが厳しく、新しいマシンが必要だったり、費用をかけて改造したりする必要がないんです。)
早速この楽しい経験を或るパソコン通信の会議室へ書き込んだ所、ある方から個人的に連絡をいただき、自重するように言われました。
なぜなら、私はこの会議室へ書き込みで、このJAF非公認のレースへの参戦を呼びかけると同時に、JAF公認のレースへもオフィシャルとしての参加することを呼びかけたからです。
この方の話では、私がJAFのライセンスを処分される覚悟で非公認のレースへの参戦をするのは仕方が無いが、JAF公認のレースへのオフィシャルとしての参加をされると、レースを主催するクラブにも迷惑がかかるし、周りのオフィシャルへも迷惑がかかる。このような事は自重して欲しいとの事でした。
私は、確かに周りに迷惑をかける事はまずいと思い、最近書き込みを自粛しています。
その方にも申し上げたのですが、JAFのライセンスを処分される事は仕方が無い事だと思いますし、当然JAFのライセンスを持っている以上よくこの件は理解しています。しかしながら、このような封建的なシステムがつまらないし、イヤダという事を示したくってわざと、会議室へ書き込んだのです。ようはJAF公認のレースは自分にとってはつまらないし、このままでは一生参加できないだろうな?と思ったので、この枠をやぶりたいと思っただけなんです。
自分は、スポンサーをつけて、レースをやりたいとは思いません。自分が本当に苦労して保持している自分の古いマシンで、レーサー気分をちょっと味わいたいと思っているだけなんです。別に勝たなくてはいけないと思ってレースをしたいわけではないんです。
私は時々、テニスをするのですが、仲間でコートをとって、最初はストロークをお互いにしていますが、自然に一時間もたてば、ダブルスの試合をしています。これは自然な成り行きだし、流れだと思います。この試合に、テニス協会の了承などが必要ですか?このような仲間内の試合に出たり、審判をした人がテニス協会から処分の対象になるのでしょうか?
レースは安全性の問題があり、テニスのようにはいかなくても、もう少し寛容であるべきだと思います。(むろん自己責任の上で)JAF公認のレースは私にとってはもはやアマチュアのレースではありません。プロのレースです。もっとアマチュアのレースを自由にやらせて欲しいと強く思います。
なんで、みんな苦しんでレースをする事ばっかりを考えているのでしょうか?何かみんなあるJAFに決められた枠に必死になって入る事を考え、苦労して入ってしまったら、この枠を必死になって守る事ばっかりを考えているように思えてなりません。そんなに「一杯一杯」にならなくてもいいのではないか?と思います。
Russellレースに参戦した時に、よく先生やチーフシュチュワードに言われたのは、「焦らず無事に戻ってきて。何よりも楽しんでこい」とよく言われました。私は若い人の応援にいった時は、必ず同じ事を言って送り出します。日本人はこの楽しむ事が罪悪に思える事があるのではないか?と思ってしまう事があります。
この封建的なシステム(枠)が、日本のレース業界やレースに携わっている人により強力に死守されいる事により、レース自体が世の中からは隔離されたものになっているのではないでしょうか?
トムさんのコラムはそのような部分への警鐘だと私は勝手に理解しています。期待しています。
ボクが知っている限りにおいて、最初にアメリカのアマチュアレースに出場したのは阿部耕三さん。82年にレースを始めたボクよりも早くからSCCAのレースに参加していた。今は日本に戻って広告代理店を経営している。その後、植村宏臣君をはじめとする何人かの日本人がアメリカのレースに出場するのを手伝ったが、アメリカに土着してレースを続けている人は少ない。残念なことだ。
2通のメールを紹介したけど、貴方の感想は? 次は、見るにしろ参加するにしろ、貴方がアメリカに来てモータースポーツを楽しむ番ですヨ。
先日、70年代にアメリカのレースに出場したこともある古くからの知人の会社で働く23才の青年がボクをたずねてきた。
関東のフレッシュマンレースでチャンピオンになったこともある彼は、アメリカでストックカーレースに出場したいという。しかし日本ではストックカーレースの情報がほとんど手に入らないので、下見をかねてボクに話を聞きに来たわけだ。
オープンしたばかりのアーウィンデールレースウエイのプラクティスデーに行って様々なストックカークラスがあることを説明し、無理を言ってNASCARツアーカーでハーフマイルのメサマリンレースウエイを走らせてもらった。
結局、彼はスーパースピードウエイでのストックカーレースをイメージしていたらしいが、ボクが勧めたのはショートトラックのNASCARレイトモデル。60周ほど走ってみてオーバルを走ることの難しさを知ったのだろう、ショートトラックから始める気になったらしい。今はアメリカに住んでから困らないように、会社を休職し英会話学校に通っているという。
それにしても、ツインリンクもてぎはアメリカンモータースポーツをひとつのテーマにしているのだから、アメリカのモータースポーツ事情を提供する"相談室"みたいなものを設けてもいいと思うのだが。彼のようにアメリカでレースをやりたいと思っても、相談できる相手がいなければ判断もできない。
アメリカのモータースポーツ、アメリカの文化を持ち込むということは、それだけ責任があるということだ。
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