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過去に執筆した原稿の中から ~アメリカンモータースポーツシーン 99年6月号~

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日本の経済力と技術力があれば、モータースポーツをより多くの人が楽しめるものにすることが可能だと思っていた。発想を転換し、ちょっと演出すれば日本レース界もそれなりの形になると思っていた。そんな頃、オートスポーツ誌のワールドフォーラムに連載したコラム二回分を紹介したい。

レースのあり方を真剣に考えてみたい(オートスポーツ96年11月15日号から転載)

購読している読売新聞の衛星版にダイエーの意見広告が掲載されていた。その頁は国内版と共通だったから、目にされた読者もいると思う。

ダイエー会長のコメントで構成された全面広告は、「主婦のみなさん、聞いて下さい!」の大きなタイトルが踊り、「PB商品は、本当に悪者でしょうか」という書き出しで始まる。

内容を要約すると、@NB商品が正統でPB商品は邪道だとする報道があるA商品作りの専門家であるメーカーに頼りきっていると「作る側の論理」が優先され、実際には必要ない頻繁なモデルチェンジや、過剰な品質と過度の性能の追求が行われるB消費者の立場を尊重するなら「なんでもかんでも高品質・高性能な商品」ではなく、「使う側の求める価値」に応じた商品の供給が必要になるC安さの追求がPB商品開発の目標ではなく、機能を追求する過程で低価格化が進んだDダイエーは「消費者が買いたい商品を、買いたい価格で、買いたい量だけ買える社会」を目指すEダイエーはNB商品を否定するものではないFNB商品とPB商品はどちらも必要で、それらを「自由に選択できる社会」が本当の意味での「豊かな社会」であり「民主的な社会」であるGPB商品を育てることがより合理的な生活を実現する、という内容だ(「」の中の表現は原文のまま)。

ダイエーのお先棒を担ぐつもりはない。が、PB商品とはプライベートブランド商品の意で、メーカーに生産を依頼しダイエーが自社ブランドで販売する商品。対するNBしょうひんはナショナルブランド商品を指し、メーカーが製造し自身で販売まで行う商品。

要するにこの会長のコメントは、NB商品がもてはやされるメーカー主導の日本の消費市場に疑問を呈しているのであり、それに対する挑戦状でもあるのだ。

さて、一見モータースポーツとは全く関係ないように見えるこの広告。実は日本のレース界の現状をもみごとに言い当てている。欧米に比べて低調な日本のモータースポーツの構造的欠陥を適切に指摘した内容を備えている。

例えばメーカーをJAF、NB商品を公認競技、PB商品を非公認競技に置き換え、観点を180度変えてメーカー側の意見として見るとどうなるか。

@JAF公認競技が正統で、わけの分からない非公認競技は(モータースポーツとして)邪道だAレースはその道の専門家であるJAF(とその会員である自動車メーカー)に任せておけばよいB一般会員の立場は考えずにどんなレースでも高品質・高性能を追求するCレースは格式と虚飾を追求するものだから安価でないのは当然だDJAFは一般会員が望む安い参加費で、一般会員が参加したいレースを必要数行うことなどできないEJAFは非公認競技を否定するF公認競技と非公認競技を自由に選択する必要性など認めないG非公認協議を認めてまで合理的な生活を追求する必要など無い、と異訳できるのではないかナ。

どうだろう。長年変わらない日本のレース界の現状と照らし合わせると、思い当たるふしはないだろうか。レース界にある不条理を端的に言い当てているとは言えないだろうか。

ボクはNB商品だろうとPB商品だろうと否定しない。JAFを否定するものでも、非公認競技を否定するものでもない。幸いにしてあらゆる商品がゴッタ煮の状態で共存しているアメリカに住んでいるから、否定や肯定に費やす時間があるなら商品の価値を確かめるのに使うことに慣れている。

元来、何かが肯定される一方で何かが否定される社会なんてのは、アメリカに住んでいる人間にはなじまないものだしネ。

だからボクの目から見ると、今回のダイエーの意見広告はちょっとした驚きでもあった。文面からして、レース界ではない一般の消費社会にすらNBブランド崇拝や反主流派排斥の傾向があることを感じたものでネ。

なにしろ、日本のレース界はどれもこれも金太郎飴ばかりだとか、閉塞状況にあるとか言ってきたのだけど、一般の社会にまでそういった画一的な価値と形態を生み出す土壌があるなら、これはもう、モータースポーツの問題を超えて考えなければならないことだからネ。

詳しい状況を知る立場にいないから、本当にメディアがPB商品を否定するような報道をしたのかわからないし、全ての消費者がより高品質で高性能な商品を求めているという確証もない。だから、かの広告を引用しつつモータースポーツに的を絞って現状を考察してみたい。

さて、最初にぜひともこの点は聞いておきたいのだが、消費社会が概ねブランド崇拝で反主流派排斥の傾向にあるとすると、オートスポーツ読者もF1、ITC、BTCCこそがレースで、他のカテゴリーは邪道とまでは言わないまでも亜流だと思っているのだろうか。

聞き方を変えよう。読者はレースに何を求めているのだろう。白熱した競争なのか、それとも名のあるマシンとドライバーが参加するなら競い合いがなくてもレースとして認めるのか。「マシンやドライバーなんて何だって構わない。多少ぶつかってもいいからガンガン先頭争いするレースが見たい」という読者は全体の何%を占めるのだろう。あるいは、自分が出場できる可能性のあるレース以外に興味はない、という読者はいないのだろうか。

読者を、ボクはレースを見ることが好きな派とレースに関係することが好きな派に大別できると思っているが、そうではなく、「別に内容は問題ではない。何となくレースっぽいものが好き」という読者が多勢を占めるのだろうか。

君はどれにあてはまるか、じっくり考えたことがあるだろうか。ひとつ考えて、参考までにその結果を知らせてほしい。

* * * *

簡潔に言おう。日本はアメリカと比べ、規制が多く、官と民(大衆ではなく民間主要企業)の市場への影響力が大きく、報道も画一的だ。

だから、レース界を「豊かな社会」、「民主的な社会」にするためには、とりあえず公認・非公認の枠を外し、レース好きが「自由に選択できる社会」にすることが必要だ。

つまり今まであった大小さまざまな金太郎飴に加え、桃太郎飴や浦島太郎飴やかぐや姫飴が店頭に並ぶ市場を作ることだ。

と同時に、今レースが好きな人、かってレースが好きだった人、これからレースが好きになりそうな人全員が、もう一度自分がレースに何を求めているか考えてみることも必要だ。

ブランド崇拝を否定する必要はない。が、それはモータースポーツを楽しむ機会を自ら狭めることにつながってはいないだろうか。レースの99%がPB商品で成り立っているアメリカにいながら、ついつい日本のことが気になる今日この頃だ。

レースの在り方を真剣に考えてみたい(オートスポーツ96年12月15日号から転載)

前回、NB商品とPB商品という言葉を引用した。読者もその違いを理解してくれたと思うが、もう一度整理してみたい。

NB商品とはメーカーが製造し、自社の販売ルートに乗せてできるだけ多く売ることを目的とする商品だ。大量生産を前提としているから商品のコストは安くなる。しかし大量販売をも前提にしてので、他の商品との差別化を計り自社製品を大量に売ろうとするから、パッケージングや宣伝・販促・流通にかかる販売コストは必然的に高くなる。

つまり全国的に売られているしメーカーの名前も広く知られているから、NB商品の購入には安心感が伴う反面、売り手(この場合は末端の小売店ではなく販売元の意)の都合で付けられた必要以上に高価なパッケージや、商品を日本全国に知らしめるための莫大な宣伝広告費の一部を消費者が負担することになる。

いうなれば作り手と売り手が同じ側に立ち、向こう側にいる消費者に一方的に商品を提供する図式だ。商品を市場に送り出す側と市場で商品を選択する消費者との間に関連はない。

PB商品は、極論すればその昔にあった"バッタ品"がそのルーツだろう。NB商品を作るほどの資力も生産設備もない、あるいはそのどちらかを欠いている小売り業が、自前のブランドを用意してNB商品が開拓した市場の隙間を狙って参入しようとする商品だ。

しかし全国的に名を売っているNB商品に比べ、知名度の低いPB商品は売りにくい。そこでNB商品より安い価格で供給し、市場での競争力を得ようとする構図だ。

確かに昔の"バッタ品"には粗悪なものもあったが、今はNB商品を作っているメーカーが余剰能力でPB商品を作るOE供給があるから、機能的にも品質的にも両者の差は少ない。

メーカー→販社→小売店→消費者という商品の流れがある。その中でもっとも消費者に近い小売店がより消費者に近づくことで、メーカー・販社連合対小売店・消費者連盟という構図ができあがる。その中で、商品を直接消費者に売ることでしか利益を上げられない小売店は、PB商品を選んでくれるように消費者の利益を最優先にする。安くて簡素ながら、必要な機能を満たしたPB商品が生まれる所以だ。

結果、比較すると高価なNB商品を買わざるを得なかった消費者が多少の安心感と見栄に目をつぶりさえすれば、それまでより安い商品を買うことで余った原資を他の消費に振り分けることができる。NB商品とPB商品を選択する過程で、本当に商品に必要な要素を吟味する習慣が養われる。消費者が積極的に商品を選択することで、消費者自身の生活に幅が出てくる。

中内ダイエー会長が言いたかったことは、こういうことだろう。

確かに消費活動はそんなに単純な動機で支えられているものではないし、超一流ブランド品まで視野に入れれば、何が消費者にとって最高の商品か特定することはおよそ不可能だ。

しかし少なくとも、ボクがアメリカに来た当時の日本にはPBという言葉もなく、PB商品が取りざたされる環境では全くなかった。ボクが日本を離れた理由も、選択の自由がなく、選択肢を探すこともままならなかった日本の閉塞状況に合った。

今年6月。初めて強烈なアメリカンモータースポーツの洗礼を受けてから20年が経った。

今、ようやく日本も複数の選択肢が用意される環境になりつつあるような気がする。だからこそ、レース界にあっても、主流以外のものを否定し排斥する風潮は慎むことが肝要だ。そして、一般社会にならい、NB商品とPB商品の存在意義について大いに議論すべきだ。まさに、レースファンにとって何が最高の商品であるか、関係者が問い直す時期にきている。

* * * *

というわけで、このNB商品とPB商品の議論が活発になるように、そのたたき台を作ることができればと思う。それで、NB商品とPB商品を改めてレース界向けに定義し直してみたい。

まずNB商品。これを便宜上NBレースと呼ぶ。PB商品はPBレースだ。

現在日本で行われているFポンからフレッシュマンまでの全てカテゴリーのレースからジムカーナやダートラなどのスピード行事まで、JAFが公認するイベントはNBレースと定義する。もちろんJAF公認のカートレースも含むし、全国的な規模で展開されているヤマハのSLレースもNBレースとする。

一方のPBレースにはサーキット走行会、ドリコン、雑誌主催のドラッグレース、軽自動車レース等、JAFの国内競技規則には当てはまる項目のない全ての競走を含む。換言すれば、JAFに年会費やライセンス発給料を払わなくても参加できるイベントをひっくるめてPBレースと定義する。

さて、こうして日本で行われているもろもろのクルマを道具にしたイベントをふたつに大別してみると、ある重大なことに気付く。

例えばそれは、NBレースに参加している人とPBレースに参加している人が、ごく一部の例外を除いて見事に色分けされている点。それは、NBレースのファンは、ほとんど間違いなくPBレースのファンではないという点だ。

世間一般から見れば、NBレースとPBレースは同じ「好き者がやってる走りっこ」にしか見えないにも関わらず、参加したり興味を持ったりする当事者の間には大きな隔たりがあるのが現実だ。

はっきり言おう。何らかの方法でNBレースに関わるものは、PBレースを"暴走族の延長"と位置づけて疎ましく思っている。一方、PBレースを主に構成しているいわゆる"部外者"達は、四角四面で排他的なNBレースの匂いを嗅ぎ取り、「NBレースがなんぼのもの」と気軽にPBレースを楽しむ。

正統派を自認するオートスポーツをはじめとする専門誌や自動車誌もNBレースは扱うが、一部のアウトロー的な雑誌以外はPBレースを視野にさえ入れていない。同じモータースポーツであるはずなのに、異なる市場に異なる消費者が存在する。

この見方が全ての場合に当てはまるとは断言しない。しかし、日本のレースの現状をつぶさに見れば、的からはずれてはいないはずだ。

で、ここを全ての議論の出発点としたい。

本来ならば、NBレースとPBレース両方の参加者、関係者、観客、スポンサー、ファン、メディア、読者をひっくるめて日本のモータースポーツシーンは完成するはずなのだが、そうでないところに日本のモータースポーツが低調な原因がある。

ピントがずれている場合もあるだろうし、大きなお世話と叱られることもあるだろう。しかしなぜ「そうでないのか」を探らなければ、日本のモータースポーツに将来の展望は開けないと痛切に感じる。だから、無責任な提案も織り込みながら、いろいろな道を探してみたい。