少しばかり?前のことなのだけれど。
3月22日
朝6時16分
御殿場市山の尻から富士山を仰ぐ
2025年春のYRSツーデースクールFSW1日目
ウルティムに乗るIさんが
4コントロールを駆使して
スラロームを駆け抜ける
Iさんと3台目のメガーヌRS
メガーヌⅢRSシャーシカップから
メガーヌⅢRSトロフィーRへ
そしていつの間にかメガーヌRSウルティムに
YRSツーデースクールFSWの特長はとにかくたくさん走ること
加えてミーティング=アドバイスの多さ
1日目午前中は広大な駐車場で
スラローム走行とブレーキング練習2種類
午後はオーバルコースを走りっぱなし
YRSツーデースクールFSWの2日目は
ショートコースのコース歩行から
走行上の注意点を自分の足で確認
朝が早いので影も長く
初めてユイレーシングスクールに参加する方と
初めてサーキットを走る方を優先に
リードフォローで1周のリズムをビルドアップ
リードフォローに次いで同乗走行
その後3グループに分けて短いセッションを繰り返し
午前1回午後2回の計測を
この日はメガーヌRSウルティムの試乗会を併催
2台のウルティムを用意して
スクール参加者にウルティムの走りを味わってもらった
ウルティムが1コーナーをクリアし
2コーナーから8%登りのヘヤピンを抜ける
試乗を終えたスクール参加者は
口々にウルティムに乗った感想を
2日間のスクールが終わり帰途へ
3月23日
午後5時31分
FSWから富士山を仰ぐ
富士山の頂きにひと筋の飛行機雲が
YRSツーデースクールFSW前の燃料補給
今回は御殿場ICにほど近い大和田さんへ
ユイレーシングスクールはサーキットを走行するカリキュラムでは周を重ねるごとにラップタイムを短縮するような走り方の構築を勧めています。いきあたりばったりの運転やall or nothingの走り方では操作が身体に馴染まないからです。計測周の最後にベストラップが出るのが理想と伝えます。もちろんそのために途中のアドバイスも欠かしません。
今回ユイレーシングスクールに参加するのが初めてで、サーキットを走ったことのないIさんが、その教えを具現化してくれました。Iさんは午前中に計64周、午後1回目に計44周、午後2回目に計48周と計測周だけで156周、全参加者のうちで最もたくさん周回しました。しかもベストラップを午後2回目の48周目、つまりこの日走った156周目にたたき出したのです。スクールをやっていてこれほど嬉しいことはありません。Iさんが乗っているクルマの絶対的な速さから見ればあと1秒強縮めることが理想ですが、Iさんなら間違いなくできるはずです。
YRSツーデースクールFSWは運転操作が自然に身につくようにカリキュラムを組んでいます。サーキットを走ったことのない方もサーキット走行のベテランにも有効な内容です。
ユイレーシングスクールではYRSツーデースクールFSWを年2回開催していますが、今年2回目の秋の日程が決まりました。11月1、2日の土日に開催します。参加申し込み受け付けは9月初旬を予定しています。運転で次のレベルへと考えられている方は、ぜひ参加を検討してみて下さい。
Kさんは今年2月のYRSドライビングワークショップFSWに初めて参加してくれた
当日はウルティムの試乗が並行して行われていてドタバタ
初めて参加したルノー仲間にお願いする感想文のことを失念
YRS鈴鹿サーキットドライビングスクールにも参加してくれたので
改めて感想文をお願いした
昨年2時間程鈴鹿サーキットを走りましたが、闇雲に走る事に怖さを感じ始めました。その前後に何度か鈴鹿でスクールの様なものには参加しましたがどう走ったら良いかは掴めませんでした。
そこで雑誌「エンジン」で時折記事を拝読していたYRSにお邪魔しました。2月のFSWでのオーバルは楽しく無意識にコーナーの走り方が身に付く様な気がしました。当日は快晴で富士山もとても美しく最高の気分で帰路につきました。
先生の教本にある「楽しく安全に速く」が実現出来たらと思いますが、今回の鈴鹿では他の皆さんの速さにとてもついていけませんでした。
今後また漠然とサーキットを走るしかなく、どういう事に気を付けたら(練習をしたら)良いのか教えてもらえる機会がもっとあればと思います。
関西にお住いのKさんは簡単にはFSWや筑波には来られないかも知れないから、サーキットを走る上でのアドバイスをメールでしようと思います。
半径22m直線60mのYRSオーバルFSWで
Kさんを横に乗せてKさんのクルマで
イーブンスロットルとトレイルブレーキングのデモラン
YRSオーバルFSWでKさん自身がイーブンスロットルを実践します
Kさん 機会があればまた遊びに来て下さい。
2025年YRS鈴鹿サーキットドライビングスクール開幕
ピット前に整列した30台の参加車と
リードカーを担うメガーヌRSウルティム
ピットの作業エリアには
2週間前のF1日本GPの名残り
太い黒々としたブラックマークが
ルーテシアⅣRS シャーシカップに乗るNさん
22年春のYRSツーデースクールFSWに初めて参加してくれて
最近では3月に開催したYRSドライビングワークショップFSWにも
Nさん初参加の時のユイレーシングスクール感想文はこちらから
メガーヌⅣRS トロフィーに乗るTさん
メガーヌⅢRSから乗り換えたのを機にユイレーシングスクールに
昨年8月のYRSトライオーバルスクールFSWに初めて参加してくれて
昨年9月のYRSツーデースクールFSWにも参加してくれた
満を持しての鈴鹿サーキット
初参加の時にユイレーシングスクールの感想文を寄せてくれました
2018年春のYRSツーデースクールFSWに初参加のIさん
メガーヌⅢRSからメガーヌⅢRS273トロフィー2へ
その後メガーヌⅢRSトロフィーRに乗り換えて自慢していたのに
今年3月のYRSツーデースクールFSWにメガーヌRSウルティムで現れた
根っからのメガーヌRS乗り
2018年のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールでのIさん
今年2月のYRSドライビングワークショップFSWに初めて参加してくれたKさん
YRS鈴鹿サーキットドライビングスクールにも参加してくれた
ただうかつにも感想文をお願いするのを忘れてしまった
Kさん改めて連絡いたします
鈴鹿サーキットを走ってもらうのに1時間じゃ短いから
2時間は走ってもらいたいけど
煮詰まっても困るから鈴鹿サーキットに無理を聞いてもらい
間にインターバルを入れてもらい今年は1時間半
セッション1についてのアドバイスを兼ねたミーティングの間に
熱くなったクルマと頭を冷やします
2台で1つの広いピットの贅沢
計測結果とコース際の外撮り映像が流れています
当日の様子を動画でもご覧になれます。以下、順にビデオ1(セッション1の慣熟走行でストレート通過)、ビデオ2(セッション2の慣熟走行終了でピットイン)、ビデオ3(慣熟走行1周目を2コーナー外側から)、ビデオ4(2コーナー外側からフリー走行1周目)。ビデオ3と4はポルシェGT3で参加されたIさんの奥方が足を延ばして撮影してくれました。
今回も年に1度YRS鈴鹿サーキットドライビングスクールでサーキットを走られる方が数名おられました。それだけモータースポーツの聖地を安全に速く走る努力をするということは価値のあることだと思います。クルマの動力性能の差、運転技術の差があっても一生懸命さはみな同じです。ユイレーシングスクールとしてはクルマの動かし方の成熟度を確かめるためにも鈴鹿サーキットレーシングコースを走ることをお勧めしています。
2026年のF1カレンダーが未定なので正確な日程はわかりませんが
来年も4月に卒業生を対象としたYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールを開催します
既に鈴鹿サーキットには申し入れ済みです
ユイレーシングスクールを未経験の方はぜひ
ユイレーシングスクールかエンジンドライビングレッスンを受講の上で
来年のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールに参加して下さい
ピットには黒々としたブラックマーク
F1日本GPの残り香漂う鈴鹿サーキット
恒例のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールを開催
34歳から81歳まで平均年齢59歳の青年30人が
心行くまでモータースポーツの聖地を堪能しました
F1日本GPが終わった。やはり鈴鹿サーキットは無条件にいい。
公道を模した周回路をロードコースと呼ぶのだけど、世界的にストップアンドゴーのデザインが主流になる現在、鈴鹿サーキットは稀有な存在だ。
春開催になって2年目。今年はFP1にふたりの日本人が出走した。ボクがコース際で旗を振っていた50年前には想像もできなかったことだ。予選でコースレコードが、決勝でもレースラップレコードが更新された。現在のF1マシンは6Gでコーナリングするというからさもあらん。
ユイレーシングスクールでは卒業生を対象に
YRS鈴鹿サーキットドライビングスクールを開催している
今年は4月21日(月)
現在軽自動車からランボルギーニウラカンまで
34歳から81歳までの24名が申し込まれています
ユイレーシングスクールを受講されたことのある方は
この機会にぜひモータースポーツの聖地を走ってみてはどうでしょう
・4月21日(月)開催 YRS鈴鹿サーキットドライビングスクール開催案内
画像は鈴鹿サーキットレーシングコースのオリジナルレイアウトです
・鈴鹿サーキット関連の過去のブログ
第651回 鈴鹿サーキット
第660回 鈴鹿サーキット
※ルノー・ジャポン公式ブログ内で鈴鹿サーキットを検索すると過去の記事がご覧になれます
高齢者講習の実技は2回目だけど
何か物足りないなぁ
走り終わって
「何も言うことはありません」
多分褒められたのだと思う
もっと厳しい実技講習というのがあるそうだけど
交通違反や事故を起こした人が対象というから
可能性はないかな
ユイレーシングスクール主宰のYRSドライビングワークショップFSW。先日Webカートップの取材を受けたのですが、その時の記事が掲載されました。
※ 画像をクリックするとWebカートップのページに移動します
少年が育った品川区大井出石町。静かな住宅地だったが、クルマと言えば近くにPXがあったのでカーキ色に塗られたジープが頻繁に走っていた。それ以外は八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーを見かけるほどだった。
「第839回 記憶のかなたの3」から続く
後になって知るのだけど、大きな模型飛行機を抱えて三澤模型に入ってきた人こそ 解良さん だった。
圭ちゃんのお店にもたくさんの模型飛行機が天井からぶら下がっていたけど、それよりも大きな飛行機だった。 ライトプレーン をまがいなりにも作れるようになり気分的に満ち足りていた上、エンジンを搭載してうなりをあげて飛ぶ模型飛行機の存在など知る由もなかった少年は、自分のすぐそばにとんでもない世界があると知って大いに衝撃を受けた。少年は解良さんに近寄りがたさを感じた。
それでも圭ちゃんが取り持ってくれたのだろう、いつしか三澤模型で解良さんと会った時には話をするようになっていた。エンジン付きの模型飛行機をUコンということも知った。となると、少年もエンジン付きの模型飛行機を作りたくなったのは自然な流れで、圭ちゃんに勧められて初心者用のUコン機のキットを買った。胴体も翼もべニア板でできているそれにフジ09のエンジンを積んだ。解良さんはパワーのあるエンヤ15というエンジンを使っていた。ボクもいつかは大きなエンジンを積んだ機体を作りたいと思った。Uコン技術という月刊誌のある時代。
模型飛行機店を営んでいる圭ちゃんが模型飛行機作りが上手いのは当然だけど、圭ちゃんに劣らずきれいにUコン機を作る解良さんは憧れの的だった。ライトプレーンと違って翼に厚みがあるUコン機はリブの上面と外面に翼紙を貼るのだけど、それが皺ひとつなくピーンと張っていてまるで1枚のぶ厚い材料から切り出した翼のようだった。
一緒にUコン機を飛ばしに行ったこともある。Uコン機は2本のワイヤーで主翼の付け根に取り付けたベルクランクを介し尾翼のエレベーターを上下させて上昇下降を行う。ただワイヤーの長さが10m以上もある。つまりUコン機は水平飛行だと直径20mの円を描いて飛ぶことになり、かなり広い場所が必要だった。ボクはというと離陸直後に失速させて墜落ばかりさせていたけど、解良さんは自慢の飛行機を宙返りさせたり飛ばすほうも上手だった。ある日。解良さんと伊藤中学校の校庭にお互いのUコン機を持ち込んで無断で飛ばしていて、用務員のオジさんにこっぴどく怒られたことも懐かしい思い出。
リンゴ箱自動車 で創作と工夫に目覚め、 ライトプレーン で物を作る楽しさを知り、Uコン機で動くものを動かす難しさを知る。模型飛行機に乗って飛ぶわけにはいかないけど、身体を動かすことが苦手の少年にとっては模型飛行機は自由への唯一の手段だったのだけど・・・。
三澤模型の圭ちゃんは足手まといだったはずのボクによくしてくれた。今にして思えば、解良さんとボクを特別に可愛がってくれていたように思う。
1960年。少年が小学校5年生の5月。圭ちゃんは米軍立川飛行場で行われた航空記念日に解良さんとボクを連れて行ってくれた。ふだんはうかがうこともできないアメリカ空軍の基地内と空軍機の実物を一般に公開するという画期的な行事だった。原町からバスに乗って大井町へ。大井町から電車で立川に向かった。
立川飛行場に足を踏み入れると、そこには模型飛行機の何百倍も大きなホンモノの飛行機が並んでいた。記録を紐解くと、今でも現役のC130も展示されていたようだ。戦闘機や輸送機にヘリコプター。実物の飛行機を間近で見るのが初めてなら、機体に描かれた横文字のカッコ良さも初めて。さぞかし有頂天だったに違いない。内部が公開されている機体もあり圭ちゃんと解良さんは次から次へと見て回っていた。基地内で昼食を摂ったはずなのだけど何を食べたか記憶にない。それほど目に入るモノが魅力的だったのだろう。
さんざん歩き回ったから休憩しようということになり、二人の後を追ってエプロンを離れ宿舎の並ぶ一角に足を踏み入れたその時、少年にとっては人生に目覚めたともいうべき乗り物に出会うことになる。
それは、その日初めて目の当たりにしてその大きさに驚いた実物の飛行機よりも、楽しさが増しつつあり希望が持てるようになった模型飛行機作りよりも、さらに強烈な衝撃を11歳の少年に与えた。
解良さんとの再会は昨年の11月初旬
何十年ぶりだろうか
最後に会ったのはアメリカに行く前だったから
45年は経っている計算になるか
それでも昔の記憶が蘇える
(続く)