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コーナーの向こうに ラップタイム(13) - YRS Mail Magazine No.113より再掲載 -

ラップタイム ( 第13話 )

現代は面白い世の中だ。情報があふれ、新製品があふれ、これでもか、これでもかって人間を楽させることがビジネスに結びつく。「モノ」が時代の先端をいく通行手形になる。

だからSCCAのやり方には批判もある。日本のタイヤメーカーが持ち込んだレーシングラジアルの使用を認めない。「そんなグリップの良いタイヤを履いたらドライバーをスポイルする。第一、それを買えない人を疎外することになる。」

それでもたゆまない企業活動の中で続々とハイグリップタイヤが誕生し時代の趨勢となる。SCCAはタイヤのトレッドをパターンがわずかに残るところまで削って販売するように規制する。政策的な価格で売られるタイヤを町乗りに使われないためもあるが、もはやトレッドパターンも「おいしい」トレッドゴムもないタイヤはメーカーの思惑とはかけ離れたシロモノでしかない。

アメリカにも急進派はいる。「SCCAは時代遅れだ。市場を見ていない。ついていけない。」SCCAから独立して新たな統括団体を設立した人もいた。JAFを飛び出して2番目のJAFを作ったようなものだ。そんな統括団体がアメリカには6つもある。ひとつの団体の寡占状態ではない。

「SCCAかぁ。いかにもアメリカらしいよな。」

自由な国アメリカは、裏を返せばもっとも不公平な国かもしれない。開かれた民主主義というものは、往々にして持てる者と持てない者の差を浮き立たせる。

「オレはSCCAでいい。どこかで線を引かないと。」

「ここまで上がってきたらレースをやってもいい、というのは駄目だ。そうではなくて、ハイグリップタイヤを買えない人にも参加できる権利を残しておいてくれるのがいい。資力の差が速さに結びつかないのがいい。ドターッと流れてしまうタイヤしか使えなくても、自分で努力すれば昨日より速く走れるようになるSCCAがいい。レースに出るのは自分を見つけることだ。自分が見えなければ意味がない。自分が「モノ」の影に隠れてしまうようなレースならば走る意味はない。とっくにプロのドライバーになることはあきらめているじゃないか。」

アルコールから逃げ出すために2本目のスプライトを開け、煙草に火をつける。目の前では、あいかわらずの「大ローリング大会」。

多分、自分のどこかに「ノーマルエンジン」のレースを認めていないところがあった。カリフォルニアではほとんどショールームストックのレースは見なかった。台数が少なく面白みに欠けていたせいもあるが、気持ちのどこかで避けていたのだろう。

ところがどうだ。全米8地区の上位が走るレースは。車種はいろいろだが、ほとんど同じタイムで走る。昔取材している時に誰かが「基本的にクルマの速さは排気量で決まる」と言ったのはこのことか。

「ひょっとするとGTクラスより大変かもしれないなぁ。でも逆にGTほど速くなくてもGTより楽しんでいるヤツは多いかも知れない。」

C、B、A、GTと4つに分かれているショールームストッククラスのレースの2つを見終わる頃、少し頭がすっきりしてくる。戻らないと決めていたスターレットの所に行くことにする。カバーを外し馬に乗った「我が家で一番高いモノ」のそばで一服。

「そりゃ勝ちたいさ。人より前でフィニッシュしたい。でも勝てなければ楽しくないかというとそうではない。」少しでも上位に入るために時間とお金を使っているのにそんなことを考える。
「逆に勝てたからと言って楽しいという保証もないよな。モノに頼って勝つこともできるんだから。」
「やっぱり楽しさが先だ。クルマの性能をキチンと使うことが楽しいのだ。それが自分にもできた時が嬉しい。そできるようになる過程が楽しいのだ。それしかない。それでいい。」
「モータースポーツは世界で一番不公平なスポーツだよな。それを承知でここにいる。不公平がいやなら出なければいいだけだ。けど、相手が自分なら公平も不公平もないよな。」

逡巡は続く。が、少しずつ気持ちが平和になっていくのも感じる。

「自分らしく、か。それが一番いい。」

コース上では、チューブフレームにFRPのボディをかぶせただけ。700馬力にまでチューンしたプッシュロッドV8エンジンを搭載し最高速320KmといわれるGT1クラスのローリングラップが始まる。

第14話に続く

※ 解説用コースレイアウトにあるシケイン(8コーナー)はスポーツカーレースの大きな事故をきっかけに作られたもので、全米選手権の時にはなかった。

≪資料≫